女性が去ったベッドでぼんやりと天井を眺めなら「ノーノズドクラブ」を思いだしていた。この奇妙な名前のクラブは18世紀のイギリスにあった。入会資格は鼻が欠けていることである。「ありがたいことに俺たちに鼻は無いが口はある。今のところご馳走に一番役にたつ機関は残っている」人は鼻を失くしてもユーモアは無くさない。

梅毒は20年で世界に広がった
会員たちの鼻は何処へいったのだろう。事故や刑罰で失ったわけではなく整形手術の失敗でもない。コロンブス交換によって欧州へ渡ってきた病のせいだった。コロンブスの船に乗っていた船員たちは、新大陸から帰るとフランス軍の傭兵になり1494年のイタリア戦争に従軍した。
その傭兵を雇ったフランス軍がナポリに進駐すると、今までなかった病気が流行しだした。病気の原因はフランス軍にありそうだったので人々はフランス病と読んだ。病気は1512年には日本に渡ってきて最初の発生の記録がある。病気は梅干しのような発疹ができることから梅毒と呼ばれた。梅毒はコロンブスたちによって欧州へ持ち込まれると、その後わずか20年でほぼ地球を一周した。なんという速さ、男は我慢ができない生き物なのだ。
梅毒は多くの有名人に感染した。ニーチェやベートーヴェン、ナポレオン、シューベルト、リンカーンである。聖職者にも痕跡が現れた。ニーチェの思想は梅毒の賜物との説がある。日本でも、加藤清正、結城秀康、前田利長、浅野幸長が梅毒に罹っていたと言われる。徳川家康は、医学の知識を持ち遊女に接するのを自戒した。さすが家康である。
江戸の夜鷹は鼻欠けが多く川柳に詠われた「鷹の名にお花お千代はきついこと」の句がある。“お花お千代”は“お鼻落ちよ”にかかっている。ノーノーズドクラブほどではないが、日本人のユーモアもまんざらではない。

今、梅毒が増えている
梅毒は、スピロヘータの一種である梅毒トレポネーマによって発症する怖い性感染症だ。第一期の小さな腫瘍から、第二期のバラ疹、第三期はゴム腫が発生し鼻が落ちる、第四期は脳や脊髄、神経が侵され死んでしまう。抗生物質で治癒するが免疫ができないので罹る人は何度も罹る。
梅毒は1940年代に有効な治療薬ペニシリンが普及して一旦減少した。しかし2000年代になるとコンドームの不使用による感染が増加してきた。日本も2011年頃から増加傾向にあり、2010年は約600件だった報告数が、2022年に1万件を超えた。交流サイトやマッチングアプリを使った不特定多数との生の性行為が要因の一つとされる。コンドームはやっぱり大切だ。

マニラ ハーバービューレストランは気持ち良い
さて今夜はマニラにいる。今夜は散々な夜だった。昼間の観光、夜のレストラン、ゴーゴーバーへ行って女性と帰って、いつものようにシャワーを浴びた。彼女の張り切った肌が水を弾くのを見るまでは絶好調だったがその後がいけなかった。
昼はマニラ大聖堂を観光して(マニラの教会は何処も立派だ)、ハーバービューレストランで食事した。ここは1985年創業のシーフードを主としたフィリピン料理店である。海に突き出した桟橋の上にあってマニラ湾が一望できる。ダイニングはオープンエアであり、潮風が湿気を吹き払ってくれるので気持ちが良い。
屋根だけの造りはやはり南国である。風に吹かれながらカニやエビを肴にビールを飲みながら異国情緒にしみじみと浸たれる。夕日が落ちるとマニラの夜景が輝きだす。海がきれいでなくても、テーブルや手すりがちょっと汚れていても、大きな日本語が聞こえたりするけど悪くないレストランだ。悩みは遠く日本にある。今は暮れていく海と料理を愉しめば良い。そんな気分になる。

オープンエアーのダイニングに海風が吹く
料理はとびきりとは言えないが十分に美味しい。刺し身や鉄火巻の日本食もあるがシュリンプやカニや魚を食べたい。エビは唐揚げと蒸した(?)ものを頼んだ、唐揚げが酒の肴に良い。カニはどこで食べてもうまい。魚料理も美味しいが日本人には微妙な味かもしれない。
最後にチャーハンを頼んだ。この量が半端ではなく腹が膨れる。酔いもまわってくると夜景に興味はなくなっていく。さぁタクシーを拾おう。今日は最高の夜になりそうな予感がする。

旅の教訓 コンドームは破れることがある
予感の通り目の前に豊かなお尻が揺れている、これは良いなぁと思ったとき下半身に違和感を感じた。気持ちが良いような、そうでないような、ハッと気づいて引き抜くとやっぱりである。F-22に撃墜された気球のようにコンドームの残骸がぶら下がってる。
彼女が怪訝そうに振り返る。(ここからは、流暢な英語とタガログ語と片言の英語と日本語の会話なので意訳である)「どうしたの」「ゴムが破けた」彼女の表情がみるみる厳しくなる。「それダメ」「大丈夫、まだ漏れてないから」としどろもどろの弁解だ。ベッドの上に緊張感が漂う。彼女は私の目を真っ直ぐにみて「新しいのをつけて」という。
「あ・た・ら・し・い・の」と滝川クリステルさんふうだったのは妄想だろう。フィリピンは敬虔なカトリックの国であり女性は中絶ができない。彼女が真剣になるのも無理はない。妊娠だけでなく病気の危険性もある。それが一個のコンドームでほぼ防げる。なんともありがたいものだが、その夜は予備を持っていなかった。

旅の教訓 備えなければ憂いあり
いつもならけっこうな数を持っているのだが、今回は保管用のポーチを家に忘れてきた。空港で気付いたがバッグに1個残っていたので買わなかった。私の持ち物は火縄銃であり連発できないので今夜は一個で十分だと考えたのである。
その一個が無くなってしまった。よりによって破れるとは・・・ベッドの上に横座りする彼女の姿が色っぽい。やる気が出てくる、どうしよう。「ごめん、さっきのが最後」「私もってないよ」彼女がまた見つめてくる。
通り過ぎたのは天使ではない、ベッドの上に沈黙が訪れる。言葉は深い沈黙に生じた亀裂である、私は言葉を絞りだすように言った「手でしてくれない」彼女は私の顔をじっと見る。再び沈黙が流れる、暫くして彼女が言ったのは「バカ」だった。そして「あなた、スケベ」と笑い出す。
そりゃそうでしょ、スケベだから一緒にいるんでしょ、と思いつつもホッとした。怒っていない。彼女は「いい考えがある。したかったらまた明日きて」それは確かにいい考えだ。その夜、手でしてくれたかは想像にお任せするが、チップの100ペソ受け取ると「ピル飲んでるから大丈夫」と帰っていった。
今夜はかれこれ4000ペソを使っただろうか。ハーバービューレストランはチャーハンで完結したが、夜は一個のコンドームが無いために完結しなかった。破けたのは人生で2回目だった。備えあれば憂い無しの反対になってしまった。逃した魚は大きい。

旅の教訓 男は懲りない
心配の一つはピルで消えたが病気の心配は残る。「ノーノーズドクラブ」が頭に浮かんだが直ぐに気持ちは変わった。明日もう一度逃した魚を釣りに行こう、男は懲りないのである。
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