ロシア ハバロフスク 栗毛の女性は激しかった。 

ロシア

「Ohh Yeahhh」せつなそうな声をあげて腰を動かしている。栗色の髪が乱れ高い鼻梁と灰色の瞳を隠す。まるでゴルゴ13の1シーンだ。しかし下にいるのはデューク東郷ではない。デューク東郷なら無表情に天井を眺め考え事をして葉巻まで吸うが、そんな余裕は全くないのだ。

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ハバロフスクの夜はゴルゴ13のシーンから始まった。

彼女の動きに合わせるのが精一杯だ。そうしないと僕の小さなソーセージが抜けてしまう。抜けたらお尻の圧力で折れてしまうかもしれない。激しさはマイクル・クライトンの北人伝説に出てくる女たちのようだ。それでも必死に合わせていると快感がたかまってきた。

その気配を察したのか「I’m comming」と彼女はさらに激しく暴れ出した。日本女性とあまりにも違う。もうだめだ抜けてしまう、と覚悟したとき「Oh!」と言いながらぐったりと身体を預けてきた。演技だと分かっていても嬉しい一瞬だ。

ビクトリアちゃんの濃厚な香水の香りが伝わってくる。少し重たいが悪くない。白人男性のイチモツが大きいのは激しく動いても抜けないように進化したに違いない。ハバロフスクの最初の夜はスポーツだった。

ロシアン美人が日本にやってきたころ

モーニング娘のラブマシーンやAKB48のヘビーローテーションが流行っていた頃、たくさんのロシア女性が日本に出稼ぎに来ていた。ハバロフスクやウラジオストックの女性が主だったが、遠くモスクワ、ハンガリーやルーマニア、ウクライナの東欧娘もいた。

彼女たちの話によると、派遣先は東京や大阪などの大都市と金沢や広島のような地方に分かれるそうだ。地方組は徳之島などの島にも派遣されるらしい。ローカルグループの娘たちは総じてすれていなくて素朴だった。

金沢にナターシャちゃんというルーマニアの女性がいた。20歳前半で身長は160cmくらい、黒髪と黒い瞳をもつ美人だった。大きくはないがとにかくスタイルが良い。卵型の小さな顔に長い手足、八頭身のまるで人形である。バン・ヘルシンクのアナ・ヴァレリアスのようだ。ハルピュイアの3人もなかなか魅力的だったが彼女にはかなわない。

ナターシャちゃんが日本人ならぜったいに相手をしてもらえないレベルである。そんな彼女と同伴することになった。もうドキドキである。片町の交差点で財布の中身を計算しながら「何を食べたい」というと返ってきたのはサイゼリヤだった。ほんといいの。彼女は笑う。彼女は英語が話せた。

スパゲティを注文し美味しそうに食べている「taste good」楽しそうに笑う。「グスタス、ほんとおいしいです」どうやら遠慮しているわけではないようだ。「サイゼリア好き、また来たい」こんな美人とサイゼリアでいいなら何度でも、この幸運はどうしたと喜んだ。そのあと店に行かないといけないのを忘れている。

異国での恋だったかも

おやじの下心は複雑である、せっかく同伴ならもう少しお金を使いたい。服を買ってあげるよと下品に笑う。こんなことしか思い浮かばないのが悲しい。そんなオヤジに笑顔で「ダー」と答える心境は如何なものだろう。

彼女はトップスが希望らしく吊りかけられた服を熱心に見ている、この姿は万国共通である。ところが気に入ったのがあったらしいと見えても値札を見て次に移って行く。六本木のお姉ちゃんが高い寿司ダネを容赦なく注文するのと大違いである。高いと思って遠慮しているのだ。

なんともいじらしい、俄然可愛く感じてしまう。昔の日本女性にあった慎ましさを感じさせる。遠慮したのにはもう一つ理由があった。自分の妹にも何か買って欲しかったのだ。遠慮した服はそんなに高くなかった。「これにしよう」「いいの」というように見つめてくる。「妹にパフュームを買っても良い」頷くと花が咲いたような笑顔になる。男の本能はこれに勝てないようになっている。

その後、何度かサイゼリアへ行ったが高い物をねだられることはなかった。スパゲティかハンバーグを食べ英語のレッスンをしてくれた。私の変な発音に声をだして笑う、彼女も楽しそうだった、やがて彼女はビザの切り替えに帰国し私は転勤になって別れた。サイゼリアの異国情緒に溢れた美女と冴えないサラリーマンの組み合わせは随分奇妙なものだったろう。

ナターシャちゃんの思い出を求めてハバロフスクへ

そんな彼女の思い出があったのだろう。怪しいオヤジたちのハバロフスクの旅に参加した。ロシアは知識も言葉も不安だらけだったので某旅行社の添乗員付きツアーになった。ロシア人の現地ガイドは「理の深淵を覗いたような瞳で」お前たち達の望みは理解していると言った。

ハバロフスクは19世紀、東進してきたロシア帝国がアムール川のほとりに作った街である。名前は17世紀の探検家エロフェイ・ハバロフに由来する。川の向こうは中国である。アムール川とウスリー川の合流地点にある大ウスリー島は長い間中露の紛争地帯だったが、2008年にプーチン大統領が真ん中で分け合うことで中国共産党と合意した。

2023年習近平首席は新しい地図で全部を中国領としてしまった。この世界地図を勝手に変えようとするオヤジたちは風俗店で本番を求めるオヤジたちより困ったものである。

広大な大地、ロシアらしい町並み、レストラン

観光スポットとしてウスリー川を眺める展望台がある。ここが一番お勧めだ。対岸は中国だ。川も大地も湿気のせいで霞んだ空気のなかにただ茫々と広がっている。建物は大きいのだが空が高く土地が限りなく広いので存在感がない。日本では決して見られない不安になるような風景である。こんな所に住んでいたら毎日何を考えるのだろう。

ハバロフスク救世主顕栄大聖堂は美しい、黄金色に輝く玉ねぎ型の屋根と白い壁とのコントラストが素晴らしい。6月の緑に彩られレーニン広場は爽やかだ。なにもかもが整理整頓されている街並は、青春時代に歩けば素晴らしいと思っただろうが、オヤジたちはなんだか落ち着かない。東南アジアに溢れる人や食べ物の臭いや叫び声がない、ごった煮の雰囲気がない。

風景は落ち着かないが料理はおなじみのボルシチやキエフ(キーウ)風カツレツなど日本人の口に会うものが多くて美味い。コーカサス料理やジョージア料理のおしゃれなレストランもある。市場のおばちゃんたちは優しい。アサヒスーパードライも飲める。健全な観光にはもってこいの街なのだ。

旅の教訓 夜の街はガイドさんに頼れ

日本がアジア的混沌の北限なのだろう。サルの北限も日本である。地獄谷にぬくぬくと浸かるサルを思うと日本は本当に住み良いところだと思う。ここには歌舞伎町の賑わいもパッポンの雑踏もない。電球がピカピカ光る看板も無ければ無料案内所もない。ほんとうに風俗があるのだろうか、社長でなくガイドさんお願い〜である。

ハバロフスクの風俗はデリヘルとサウナが主だという。サウナは店舗型であるが派手な看板を出していないので見つけにくい。訪ねて行って先客が居なかったらサウナでイチャイチャしてその後にいたすらしい。サウナで身体もアソコも整えるのだ。値段はサウナ代2000ルーブル、その他10000ルーブルで合わせて20000円くらいだそうだ。

「これいいですね」「でも4人一緒にサウナに入るのですかね」「違うんじゃない」などと話していると、ガイドはサウナは女性の数が少ないのでみんなで行くのに適していない、こちらにしろとIpadを見せてくる。ロシア語と英語で書かれた女性のプロフィールが並んでいる。

瞳の色からできることまで細かく書いてある。キスNGもある。メニューが多すぎて決まらないレストランの状況になった。こちらが選ぶとガイドが電話をかける。繋がらなかったり空いてなければ次に行く。ガイドが疲れてきたころにようやく4人とも決まった。16000ルーブルくらいだった。

そこからタクシーで女性のマンションへ向う。今回は二箇所に別れた。「日本語も英語も通じないと思ってください。終わる頃迎えに行くので勝手にタクシーに乗らないでください」ガイドは面倒くさそうに言って去って行った。私が選んだのはビクトリアちゃんという栗毛の女性だった。

旅の教訓 エスコートレディは美人が多いらしい

玄関のロックを開けて入ると少し緊張する、ビビリなのだ。少し開いた部屋のドアをノックをすると紫のランジェリー姿の女性が迎えてくれた。大きい、プレイボーイやハスラーの世界だ。コンプレックスのせいかアジア女性の前では感じない緊張を覚える。慌てて先にチップとお礼に20000ルーブルを渡してしまった。

彼女は少し驚いたようだがにっこり笑うと「Spasibo」と言った。笑うと幼さが出る。「日本語は話せるの」「ニェット」「You don’t need many words to have ***」とハグしてくる。けっこう力が強い。唇を合わせて・・・シャワーを使いゴルゴ13の世界に突入した。神奈川沖波裏、翻弄される舟のようだった。

ビクトリアちゃんの濃厚な香水の香りが鼻孔をくすぐる。グーグルアプリで話そうとすると「だいじょうぶ、あなたは優しそうだから英語で話しましょう」英語は分かるけれど相手の性格が分かるまで話せないことにしているそうだ。「僕のはとても小さいから感じなっかたかもしれないね」「あなたの小さい、ロシア人は大きい」とストレートに笑う。分かっていても悲しいぞ。

旅の教訓 ロシア人女性は素朴である

「だけど関係ない。あなたは優しい、女は優しい男が好き」と抱きしめてくる。この場合優しいとは気前が良いことである。チップが多かったせいか彼女は優しかった。たった一度の経験なので分からないがロシアの女性は素朴で優しいようだ。東欧やロシアの貧しい地域は特にそうだろう。

金沢であった女性たちもそんなだった。彼女たちは豊かな日本でお金を儲けると変わって行く。豊かさは人を幸せにするのだろうか。東ヨーロッパには豊かでなくても幸せな女性が多くいるのではないか。日本の結婚できない男性はロシア女性と結婚すれば案外幸せになれるのではないかなど、珍しく考えたのはアジア的混沌から離れたせいだろう。

彼女たちが年を重ねてメタモルフォーゼをしなければ、ソーセージがもう少し大きければ結婚しても良かった(できるかわからないくせに)ビクトリアちゃんとの出会いは、そんな偏見を捨てても良い(手遅れなのに)と思わせてくれた。

ハバロフスクやウラジオストックは穴場かもしれない。ウクライナの戦争が終わり国交が正常化したらまた行きたいものである。ただ旅のメンバーの評価は分かれた、言葉が通じず上手く行かなかったらしい。言葉の壁はやはり大きいのである。

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