タイ バンコク チャオプラヤー川クルーズでボラれた

タイ

これはどう考えてもボラれてるなぁ、待合室は狭くて小汚たない、船着き場は小さくて繋がれた船は保津川下りの船を少し大きくしたくらいしかない。これで2000バーツはないよなと思いつつもお札を取り出した。ここまで来たらどんな船でもいいからクルーズをしたかった。お金を渡すと「コップンカップ」と愛想のよいお礼が返ってくる、それはそうだろうね。

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旅のお勧め エメラルド寺院は良いところ

この遊覧船の乗り場へはトゥクトゥクのおっさんに連れられてやって来た。このおっさん、ファラーンボーン駅からエメラルド寺院まで400バーツを出せと言ったおっさんである。高いといったら200バーツになった、まだ高い気がするが道が全く分からないので仕方なく乗ったが、後から聞くと50バーツくらいの距離らしい。

200バーツでも日本のタクシーに比べると安いように思えたので、道に迷うより良いかなとなってしまった。おっさんに乗せて貰って行ったエメラルド寺院、ワット・プラケオは良いお寺だった。エメラルド寺院の名前の由来の、エメラルドの仏像は高くて遠い所にあるが、信仰を集めるのにふさわしい素晴らしさが伝わってくる。お寺が今も信仰の場となっているのも良い。

来てよかった、拝観を終えてお寺を出る頃には200バーツのことはすっかり忘れていた。さて次はどうしよう、駅まで歩くのは遠い、トゥクトゥクでも乗ろうかと見回すと一人の運転手がニヤリと笑いながら声をかけて来る。200バーツのおっさんである、嫌な予感がする。彼の狩猟本能が私を鴨だと見抜いたのだろう、待ち伏せしていたに違いない。「船の観光しないか」

旅の教訓 客引きについていって良いことはない

風俗と観光地の客引きについて行って良いことが無いのは鉄板のお約束である。しかしチャオプラヤー川のクルーズも悪くないと一瞬思ってしまった。そうなったらもう負けである。捕食者が入れば捕食される者がいる。チョウチンアンコウのヒゲや亀の舌のひらひらに騙される魚はいる。外国の観光地を、一人で知識も無く地図も調べずに行き当たりばったりにうろつく者は捕食される、鴨になるのである。

「ハウマッチ?」「乗り場まで200バーツ」今度は行き先が分からないので呑むしかない。ただ間違いなく駅からエメラルド寺院よりも近かった、またやられた。そんな調子で着いたのがここだ。船賃も当然ぼったくりで払った額の一部はおっさんに渡るのだろう。

待合室にいるのは私一人である。客が私一人だったら怖いな、身ぐるみ剥がれて川へポイっとされても分からない。随分待ってから年配の白人のカップル、アジア系の青年一人と香港人の二人連れが加わった。この人たちも騙されてきたのだろうか。

幸せそうなアメリカ人夫婦

船頭が手招きをする、どうやらこの四組で出航のようだ。船におっかなびっくりで乗り込むと思った通りに揺れる。「Oh!Ahaha」白人のおばちゃんが笑い、おじさんも笑う。とても楽しそうだ。青年もはにかむように笑う。二人連れが笑い、私も思わず笑ってしまった。楽しさは伝染する、人が持つ共感能力のひとつ情動感染である。この船けっこういいかもしれない。

船の喫水は低く手を伸ばせば水面に手が届きそうだ。船は出たもののどこへ行くか分からない、いつものまぁ良いかで身を任すことにした。波は穏やかだが水はアジアの大河に共通する薄茶色に濁っている。けっして泳いでみたいとは思わない川だが、とても広いので空も広くなる、その開放感が気持ち良い。大きく広がった空間の両側に次々と寺院や王宮が見えてくる。水面から眺める建物は大きく輝いていた。

今でもこの遊覧船のルートが思い出せない。当時は川の上流へ向かっていたように思ったが地図を見ると下っていた。船頭が時々大声で建物の説明する。そのたびに白人のおばちゃんが感動しおじさんが笑う。このおばちゃん、良い景色が見えたと笑い船が揺れるとまた笑う。「Are you Japanese」「I think so」「Ahaha」とにかく陽気で賑やかい。きっと人生もこんな風に楽しく送ってきたに違いない。ちょっと羨ましい。

古いバンコクが見える川下り

青年は思い出したようにスマホで写真を撮っている。二人連れは肩を寄せ合っている。私はこのひたすら平らな景色に酔っていた。これは良い、孤独のグルメならぬ孤独の観光は悪くないのである、この川下りが2000バーツなのはもう忘れていた。やがて船は細い運河に入って行く。両岸に家が連なり、川に張り出した家の支柱は水垢で汚れている。緑が溢れた庭に洗濯ものが揺れ、ぼんやりと座っているおじいさんがいる。

川に出られるように船が繋いである家もある。昔のバンコクは川を使った往来が盛んだったのだろう。陸からは見えないタイの人々の生活が見られる。水路が狭くなったのですれ違う船同士が近くなる。舳先に花をつけた船がすれちがう。乗っている船とよく似ているから、この船も一般的なのかもしれない。

旅の教訓 水上クルーズは良いかもしれない

そんなことを考えているうちに船は水上マーケットについた。なんというマーケットかわからない。以前、強盗にあったところに似ているようだがはっきりとした記憶がない。今日は強盗に変身するような男と一緒でないのでまぁ良いか。上陸して暫く自由時間になる。

とりあえずビールを一缶飲んでぶらぶらとあるき出す。たくさんの食品や雑貨、タイのファーストフードや果物、お土産品を売る店が細長く続いている。おばちゃんの声がにぎやかい、観光客や地元の人たちが行き交って活気に溢れている。タイ人の生活の場でもある市場に癒やされる。

何か買おうかと迷っているうちに集合時間がやってきた、置いていかれたら帰る方法がわからないので早い目に戻る。船着き場につくとアメリカ人もアジア系の青年も、彼は無口で結局どこの国の人かわからなかった、香港の二人連れも戻っていた。船着き場に、飛行機が着陸するように同じ形の船が次々とやってくる。やっぱり普通の船なのだろうか。

ワット・ポーの涅槃仏はユーモラスなお顔をされていた

船はもと来た水路を戻って本流に戻り、暫く走って広い川辺の船着き場に着いた。乗っていたみんなが下船していく。ここが終点のようだ。「バーイ」アメリカ人のカップルも去っていく。はてここは何処なのだろう。さっぱりわからない。近くに設置された案内板と地図から推測すると、どうやらここは涅槃仏で有名なワット・ポーの近くらしい。

7月の太陽は厳しいが日本の夏より過ごし易い。途中アイスキャンデーを買って舐めながら歩く、このアイスがうまい、ワット・ポーは人でいっぱいだった。大きな仏さまは愉快なお顔で皆んなを見ておられる。たくさんの人が足の裏の写真を撮っていた。

そんなお寺の一角に座り込んで涼んでいる人がいた。気持ちよさそうだ。お寺を出て、またぶらぶらと歩いて次の大きなお寺にお参りする。無料の水を貰ったのでお返しに亀を放流して帰った。ワット・ポーのあたりは大きなお寺がたくさんある。アイスを食べながら散策するのにピッタリである、暑いなか歩くのが楽しい。

旅の教訓 一人の街歩きは下調べをしよう

帰りはそのあたりからタクシーに乗った。スクンビットまで100バーツもかからなかった。おっさんなかなかやるじゃないか、とBTSの高架の下を歩いていると「かもちゃん」と声が聞こえる、それも女の声だ。驚いて振り返ると白いTシャツにショートパンツの娘がニコニコして立っている。

「今すれ違ったよ、でもかもちゃん気がつかない」「・・・」「怖い顔してた」トゥクトゥクのおっさんのことを考えていたときだ、誰だったかなと女性に聞いて良いことはない。黙っていると「一昨日のこと忘れた」そうだった一昨日の夜ゴーゴーバーで一緒だった娘だった。

「何してるの?」「クルーズしてワット・ポー行って帰ってきたところ」「楽しかった」「楽しかったけれど、いっぱいお金を使った。駅からワット・プラケオまで200バーツ、観光船が2000バーツ」と話すと「高い〜、その船、水上タクシーだよ」

どうやら乗ったのは観光船では無く水上タクシーだったらしい。タクシーをチャーターした観光コースだったようだ。チャーターとはいえ2000バーツは高いのではないか。楽しい一時だったからまぁ良かったけれど、事前によく調べて乗るのが良いようだ。

(チャオプラヤー・プリンセス号などの大型船のディナー付きクルーズが1200バーツ、サロンクルーズ号の本格ディナー、ショーが5300バーツだから、船に乗るだけの2000バーツは高かったのではないだろうか)

「かもちゃん、この後予定あるの」「別にないけど」危険が迫っているのが分かっているのにこんな返事をしてしまう自分が情無い。「じゃご飯食べよう」と近づいてくる。「その後も一緒で良いよ」と腕を組む。柔らかい胸の感触が伝わり一昨日の身体が蘇る。彼女は腕を組んだまま歩きだす、もう駄目だ。3000バーツあったら足りるかな。ここでもやっぱり鴨だった。

彼女に使ったお金は水上タクシーに比べると高かったのだろうか。刹那の性欲か良い思い出か、「DIE WITH ZERO」ビル・パーキンスならなんと言うか。刹那の性欲は良い思い出につながるとは限らない、しかし我慢できないのは確かである。

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