日本にも東南アジア料理のレストランがずいぶん増えた。日本に居ながら美味しい外国料理が食べられるのは嬉しいが海外へいく楽しみが減って寂しいような気もする。大崎のシンクパークタワーの地下にCOMPHO with TERRACEというベトナム料理店がある、いかにも東京というおしゃれな店で料理も美味しい。とくにバインセオ(ベトナム風お好み焼き)は美味い。

日本のアジアン料理
そこに怪しい探検隊のメンバーが久々に集まった。「コロナは完全に終わったみたいですね」「活動再開しますか」「では次回相談しましょう」一ヶ月ほどたった頃、今度はタイ料理店でミーティングを行いますと連絡がやってきた。ベトナムからタイへの移動だ。大井町にあるクルン・サイアムという店である。この店は外観が立派なので入るのに一瞬躊躇するが店内は庶民的で居心地が良い。店員さんの殆どはタイ人でタイにいる気分が味わえる。もちろんプー・パッポン・カリーもある。
さっそく生ビールを注文、鶏肉のスパイシー焼きのガイ・ヤーン、タイ風卵焼きカイ・ジャオ・ムー・サップ、エビせんべいと続けてお願いする。ガイ・ヤーンは香ばしい肉汁がしみ出してなかなかの仕上がりだ。カイ・ジャオはトマトが目の顔になって可愛い。料理をもってきた店員さんは日本人に見えるがタイ女性だった、こちらも可愛い、タイの女性ってこんなに色が白かったっけと気持ちが盛り上がる。
「さぁ、何処へきましょう」「ベトナムからタイへ来ましたね」レストランのことである。「それなら次はフィリピンでしょう」なぜそうなるのか。「そうですね」ということでフィリピンに決まってしまった。それも行ったことのないセブ島である。

そうだ、セブ島に行こう
セブ島といえば世界有数のリゾート地で、白人のセレブ、中国の金持ち、日本のお姉さんが集うところで、どう考えてもおっさん4人組は似合わないような気がする。そんなところで良い事があるとは到底思えないが、取り合えず出発することになった。話している間に店内は一杯になっている。料理の匂いが満ちてタイにいる気分になる。店を出れば直ぐそばが「しょんべん横丁」だ。こちらの方こそおっさんにお似合いなのだが。
いつもは関西から出発して現地集合するが、フィリピンは怖いという印象が抜けきれないので東京から一緒に行くことにした。旅は人数の多い方が心強い。成田から直行便が出ている。フィリピン航空なら往復11万から15万、LCCだったら8万くらいだ。飛行時間は約5時間30分、LCCに乗るには微妙な時間である。
LCCは、座席が狭い、リクライニングができない、モニターが無い、狭い座席に長時間耐えるには年を取りすぎたのかもしれない。もう若くないのさ〜と言いながら、夜の遊びに行くのだからいい加減なものだが、今回は奮発してフィリピン航空になった。フライトは順調でキャビンアテンダントも可愛い。ビールを飲んで寝ていたらあっという間にマクタン・セブ国際空港についた。これならLCCでも良かったかな。
セブのイメージは小さい島だったが、実際は全長225kmもある大きな島である。イメージのリゾート地はセブ島の東側にあるマクタン島という橋で結ばれた小さい島だった。国際空港もこの島にある。セブ島の隣にレイテ島がある。レイテ湾は太平洋戦争で日本帝国海軍と米国海軍の最大の海戦が行われたところだ。
日本海軍は、米国のフィリピン侵攻防衛のため、当時残された戦力のほぼ全てを投入して捷一号作戦を行った。双方合わせて数百隻の艦艇と飛行機が参加した大海戦だった。日本海軍はこの作戦で米国に完膚なきまで叩きのめされた。戦艦は武蔵、扶桑、山城、空母は瑞鶴、瑞鳳、千歳、千代田を失い、重巡は愛宕、摩耶、鳥海、最上、鈴谷、筑摩 その他多数の艦艇が沈没した。更に航空機の殆どと多くの搭乗員を失い、この海戦によって連合艦隊は事実上消滅したのである。

日本帝国海軍が敗れたレイテ沖を見下ろす
今はもうレイテ沖海戦の名前が残るだけだが戦いのスケールは驚くべきものだった。日本海軍はミッドウェー以来相次ぐ敗戦で消耗していたが、それでも相手がアメリカでなければ負けなかっただろう。敗因は戦力の枯渇が大きいが、その原因はレーダーや通信器、VT信管など技術力の差だった。日本の技術力も劣っていなかったが、それを戦力にする資源と工業力が無かったのである。
夕暮が迫る眼下の海原と所々に浮かぶ雲を眺めていると、ここで戦った戦闘機の搭乗員たちも同じ景色を見ていたのだろうかと感傷的になる。もし日本が戦争を回避して経済力でアジアに浸透していればどんな国になっていたのだろうか。米国と並ぶアジアの大国だったかもしれない。そんな歴史のある所へ遊びに行くなんて、後ろめたさと平和であることの幸せを感じるのだった。
やがて着陸のアナウンスが流れて飛行機は高度を落として行く。入国審査を無事通るのか、着いてから交通機関をうまく利用できるか、不安と期待が混ざった海外旅行特有の気分になる時間である。だがおっさんの頭はすぐに夜の楽しみに飛んでいく、どのようなフィリピーナが待っているのだろうか。今夜の出会いは楽しいだろうか。「Mangyaring maghintay, binibini」である。セブ島はタガログ語ではなかったっけ。
入国ゲートを出ると一人がさっそくSIMカードを変えている。今はeSIMというのがあって小さなカードをゴソゴソ入れ替えなくても良いらしい。この分野は人にお任せなのでわからないが、エアロという会社のカードは1ギガ4.5ドルで事前に申し込めば3ドルを値引きしてく1.5ドルになるそうだ。こういうのが分かると節約できて尚且つ便利だろうと羨ましくなる。

セブの風俗はマンゴーストリートにあり
彼はそのスマホを使ってGrabタクシーを呼んでいる。フィリピンのタクシーはボッタクリが多いから、このシステムは本当に安心である。世の中変わっていくなぁ。とはいってもアジアのタクシーは日本に比べて格段に安いから少々ボラれてもしれている。その考えがいけないのだが、初乗りが40ペソ(約85円)300m毎に3.5ペソ(7.4円)だから、ボラれるリスクがあっても安全性なタクシーを利用するのがお勧めである。空港乗り入れのタクシーは30ペソほど高くなる。それでも安い。
空港から出ると南国特有のムッとした空気が押し寄せてくる。周囲の車の喧噪、時に聞こえる人の大きな声、生命力に満ちた熱帯の樹々や草の香り、植物の腐敗臭がかすかに感じられる。常夏の国では生命は短いサイクルで生まれて朽ちていく。吹き付ける風にその息吹を感じる。東南アジアにきたなと感じる一瞬である。
と詩的なことを考えながら乗り込んだタクシーの中はいつもの会話である。「セブの遊ぶ所はどんなところですかね」「マンゴーストリートに集中しているらしいです」「マンゴーストリートとは関西人にはなんとも意味深な名前やね」「東京も一緒ですよ」「僕は京都だからオソソだね」「何それ」とそこにしか興味がないのである。
セブ島の風俗は、ビキニバー、KTV、リンガムマッサージ、立ちんぼが主である。ビキニバーはタイのゴーゴーバーをもっと日本のキャバクラに近づけたものらしい。相場として5500ペソから8000ペソで、日本人の経営する店もあるそうだからまずここが狙いめだろう。
KTVは美人が多いらしいが一緒に帰るのは無理らしい。ベトナムも同じように言われたが可能なところもあった。セブはどうなのだろうか。まぁ行ってみないとわからない。リンガムマッサージはサクッと抜くところだ。予算は1400ペソくらい。立ちんぼはたくさんいて安いが危険らしい。さすがフィリピン、警官と組んだ美人局、恐喝、窃盗と何でもあるらしい。ここは近づかないほうが良いようだ。

タクシー運転手の誘惑、どうする
空港からセブ市街までは30分くらいだった。今回のホテルは「一人でいくフィリピン旅行情報サイト」を参考にさせてもらいABCホテルにした。宿泊料は5000円くらいでマンゴーストリートにも比較的近い。リゾート地だけあって素晴らしいホテルがたくさんがあるが実用的にはここで十分である。
「さて、かもさん、今夜はどこへいきましょう」「まずは食事じゃない」と生返事をしながら、実は観光したい場所のことを思っていた。セント・ニーニョ教会へ行きたいのだ。少し前、マニラのイントラムロスに行きサン·アグスチン教会でちょっと不気味なセント・ニーニョの絵を見た。その絵に興味を惹かれてフィリピンのセント・ニーニョ信仰を知った。そのセント・ニーニョがやって来た地がセブ島なのだ。
夜遊びが目的でやって来たと言っても、せっかく来たのだから是非教会にも行ってみたい。だが口に出すと何を言われるか分からないので黙っていた。「今日はついたばかりだから軽く食事して休むのもありですね」「日本人、女遊びをしたいのか。それなら俺に任せろ」そのとき運転手が話に割り込んできた。風俗はポン引きに付いていって良いことはない。しかしタクシーの運転手の情報はどこの国でも貴重なのも確かである。

「どうしましょう」「どうする」と一同顔を見合わせる。「日本人がやってる店も知ってるぞ、マッサージも良いぞ」と片言の日本語と英語で話してくる。言葉に関係なくこの類の話はよく通じるから不思議だ。「どうする」「どうする」セブ島の夜は始まったばかりだ(続く)
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