夜に来るもの アダルトビデオ とモザイクの効能

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たいていの男はアダルトビデオのお世話になる。始めてAVを見たときの背徳感と興奮は忘れられない。見てはいけないものを見てしまった、父と母も同じことをしているのか、驚きとともに少年は大人になる。

AVを見た男のすることは同じである。世界の男たちが一晩にする自慰の回数はいったいどれくらいになるのだろう。自家発電とも呼ばれるこの運動から電気を得ることができれば、無粋なソーラーパネルで自然を破壊しなくても良くなるのではないか。

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アダルトビデオ大国 日本

日本は世界有数のAV大国である。Pornhubに日本女優が溢れている。台湾やタイのAVショップに置かれているのも殆どが日本製である。だがほんの30年ほど前まで女性の裸や性器をみるのは至難の技だった。女性と現実の社会で深い関係にならない限り見られなかった。

昔も白黒のエロ写真やブルーフィルムはあった。しかし入手経路が怪しく価格も高かったので若者は手がでなかった。女優はお世辞にも美人はいない、それでもアソコが見られることで十分だった。そんな時代の白黒写真は今で妙な興奮を誘う。それゆえ当時の男のオ○○コの憧れはたいへんなものだった。

そんな状況を一編したのは、1976年に日本ビクター発売したVHSビデオだった。発売後アダルトビデオが作成されるまで時間はかからなかった。男はビデオデッキをこぞって購入して楽しんだがモザイクが邪魔だった。需要があれば供給がある。裏ビデオの登場である。洗濯屋ケンちゃん」や「テレクラ洋子」などの名作が作られ「小林ひとみ」や「樹れいこ」などのスターが誕生した。

流通量が拡大し、業者間の競争により徐々に価格が下がっていった。

裏ビデオは非合法だったが男の欲望は止まらない。更に記憶媒体がビデオからDVDに変わると価格は更にさがり、若者が無修正AVを何回も見てする時代が到来した。さらにインターネットがその状況を飛躍させた。

世界中の無修正ポルノが簡単に見られるようになった。白人の巨乳や金髪のあそこや清楚な日本美人が男にあられもない姿で犯されるシーンが好きなだけ見られる世界になった。今やスマホでも見られる。思い立ったときにどこでもいつでもオカズある。これは性の革命である。

そしてモザイクも陰毛も無くなった

D2passというサイトがある。ストーリー性を重視する一本道から熟女専門のパコパコママ、若い娘専門のカリビアンコム、素人専門などあらゆるジャンルが揃った無修正サイトだ。誰もが無修正サイトが登場すればモザイクのかかるAVは駆逐されると予想した。だが今も修正サイトは活況を呈している。これは不思議なことだ。

AVは、女優の質が高く若くて綺麗な女性もいれば清楚な熟女もいる。カメラマンの技術が高く興奮させるアングルが多い。ストーリー性が強い。しかし男なら絶対見たいあそこを隠すモザイクは圧倒的に不利なはずである。それなのにAVは無くならない。それはモザイク自体に何らかの効用があるからではないか。人が持つ性質に働きかけるものがあるはずだ。

無修正はあっけらかんと全てを見せてくれる。さらに最近の女優はイスラム教徒でもないのにあそこの毛が無い。子供が風呂に入っているのを見るようで味気ない。光ばかりで陰がない。淫靡な雰囲気に乏しいのだ。人は隠されると興奮する。海で水着を見ても興奮しないが、和服の女性の太腿が見えたら勃起する。あの微妙さが無い。

それに比べるとAVは見たい所が見えないジレンマが常にある。脳はモザイクに隠された所を想像して興奮する。モザイクは人が持つ好奇心と想像力を刺激し男の欲望を増加させているのだ。

モザイクは妄想のスィッチ

若い頃、男は毎日のように自慰をする。年がら年中発情しているのは人間だけだ。どうしてそうなったか、人類の赤ん坊は他の霊長類と異なり自分で体温を維持できる。それは親以外が赤ん坊の世話をすることを可能にした。人類は集団で子育てをするようになり母親は赤ん坊と離れる時間が持てた。メスはその時間を使って交尾できた。そしていつしか発情期間がなくなった。

作家ジャレッド・ダイヤモンドは人間の性はたいへんに奇妙に進化しているという。性交を隠すのも人間だけだ。野良犬がまだ街をうろうろしていた時代、彼らは道端で平気で子づくりをしていた。犬は結合するとしばらく抜けない、悪ガキたちは離れられない2匹に水をかける意地悪をした。

ただマイクル・クライトンの北人伝説のバイキングたちは人前でも平気で交わる。イスラム人のイブン・ファドラーンはそれを見てとても驚く。同じ人間でも隠したいレベルは人種や文化によって異なるのだ。映画化された13ウォリアーズにその乱交の光景は描かれていない。そりゃそうだろう。

発情期が無くなって生存戦略的に有利になったが良いことばかりではない。牝の取り合いが激化する。それを防ぐために宗教や一夫一妻制が生まれた。キリスト教や仏教は厳しく女犯を禁じる。イスラム教は禁じないが欲望は4人の妻へ向けないといけない。人間の性は宗教や社会的タブーによって常に抑圧されることになった。

人は強い好奇心を持つ。タブーとされるとより興味を惹かれる。禁じられると破りたくなる。隠された行為や見てはいけない物は余計に見たくなる。その誘惑は誰の心にも存在する。それがAV文化を生み、発情期が無いので一年中需要がある、だから産業として成立した。

妄想は欲望の泉

溜池ゴロー監督は、モザイクどころか女優が裸にならない、パンチラや胸の谷間と豊かお尻を強調するだけの作品を撮っている。想像を最大限にして利用して欲望を増す手法だ。パンチラもそうだ。パンツといってもただの布である。布の向こうにあるものも知っている。

それなのに、短いスカートの女性が前に座れば思わず見てしまう。見えると一日が幸せになる。これも隠されたものを見たいという欲望がなせる業だ。モザイクはそれらと同じ効果をAVに与える。全てが晒された世界は想像や妄想のない乾いた砂漠である。砂漠は密林のような生物多様性がない。

現代の若者の性欲が弱いのはそのせいではないだろうか。人は生殖と性を分離させた唯一の生き物である。女性の色気の半分は男の妄想が生み出している。モザイクや無花果の葉は妄想を始めるスィッチなのだ。しかし、現代の若者たちは若い時からネットに接し露わな裸体を見ている。

妄想のスィッチが形成されず淫靡な想像ができないのだろう。それは寂しいことである。もっとモザイクを楽しみ妄想力を鍛えねばならない。脳の思考回路からその機能が抜けてしまわないように。

とは言うものの、見たいところは見たいし、したいことはしたい。あるべきところにはあるべきものが欲しい。もし陰毛が無かったら浮世絵の魅力は半減してウタマロという英語もなかったかもしれない。女性の陰毛は未来に残して欲しいものだ。

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