
歳をとってきたせいか長いフライトに耐えられなくなってきた。長いと途中何度もトイレに行かないといけない。食事も緊張する。「ティキン、オア、ビーフ」「パードン」「ティキン、オア、ビーフ」「オオ、ビアー」「ビアー?」「ティキン、オア、ビーフ」アテンダントの口調が苛立ってくる、そんなやり取りがつらい。そのくせ酒は何度も注文する。またトイレに行く。不毛な繰り返しである。

旅は日常からの逃避である
カルモジインの田舎は大理石の産地で
西脇順三郎詩集 岩波文庫
其処で私は夏を過ごしたことがあった。
ヒバリもいないし、蛇もでない。
ただ青いスモモの藪から太陽が出て
またスモモの藪へ沈む。
少年は小川でドルフィンを捉えて笑った。
子供の頃からこのようなところへ旅をしたいと思っていた。その願いは晩年を迎えても実現していない。そのうちに長旅が苦手になった。だからもっぱらアジアにでかける。どこへ行っても長くて4泊5日、短い時は1泊2日になる。
なぜ旅にでるのか。バックパッカーの草分けである下川裕治氏はそう問われて「含蓄にある言葉を期待する人には申し訳ないが僕の答えはいたって単純である。逃げたいから」と答えている。その言葉は私にも当てはまる。
旅の目的は人それぞれだ。世界遺産や名所旧跡、ミュージカル、グルメ、親睦、傷心の癒やし、私がもっぱらとする夜の楽しみ、目的は違っても日常生活から開放される。サリーマン時代、仕事が煮詰まったとき不思議に海外出張が入った。工場部門と生産性について対立したとき顧客のマレーシア工場の視察を命じられた。
工場の敷地は緑に囲まれている。南国の光がまぶしい外から工場に入ると、Tシャツにスカーフ(トゥドゥンという)姿をした女性たちがゆっくりと作業をしていた。彼女たちは急ぐこともなく優雅な動きで部品を運んで組み立てている。日本と全く異なった時間が流れていた。その姿はカチカチになった私の頭を笑っているようだった。脱力である。こんな働き方もあるのだ、日本での対立が馬鹿らしくなる。

東南アジアの時間はゆっくりと流れる
それ以来、アジアと日本を行き来していたが、あるとき下川裕治氏の本に出会い、同じことを思っている人がいるのだと嬉しくなった。彼は若い頃から筋金入のバックパッカーである。彼の足跡は世界中に及び多くの本になっているが、かっこ良い旅や楽な旅はなく現地の人達に混じった悪戦苦闘ばかりだ。そんな彼の周りにはとても温い時間が流れている。タイは洪水でさえもゆっくりとやって来る、洪水の時期村の食堂で増えてくる水に足をつけながら食事をしている。
彼の旅行記のなかでも「ちょっと幸せのシリーズ」を一番気に入っている。ラオスやカンボジアの奥地へは彼のような達人でないと行けないが、この本に出てくる一泊二日の近場の旅なら誰でも行ける。韓国なら日帰り、台湾だったら0泊3日も可能だ。費用も飛行機の便の選び方次第で随分安くあがる。土日なら職場の気遣いも必要ない。週末に脱日常の命の洗濯ができるのだ。
紹介されているのは、韓国の釜山、台湾の温泉、マレーシアのジャングル、中国のシルクロード、沖縄、ベトナム、タイ・バンコク、など地元の人達の日常生活の場所である。彼らは、短い週末で中国の奥地、星星峽というウィグルの街まで行ってしまう。今はもう政治的に行けない場所をだろう。厳寒の時期に行くとストーブをつけても温まらない氷点下の部屋が待っていた。
そこで酒が飲みたくなる。氷点下だろうが飲みたいものは飲みたい。誰が買いにいくかで揉めてしまう。酒飲みたちによくある光景だ。旅とアルコールは切っても切れない。韓国行きの下関フェリーで飲むマッコリ、マラッカ海峡の夕日を背景に飲むビール、台湾の秘境温泉の風呂上がりのビールは美味そうだ。読んでいるだけで身体の力が抜けていく。

週末だけのアジア旅行
筆者は、日本にいるとき他人から後ろ指を差されないように、知らないうちに身体に力が入っていると感じている。日本を離れ飛行機が北回帰線を越えるとその自縛から開放される。ゆっくりとしたアジアの時間なかで心が再生するという。筆者はそんな旅が意外と簡単と教えてくれる。
心が煮詰まったらアジアの旅に出るのが良い。韓国の明洞、タイのソイ・カーボーイ、台湾の淡水に溢れる人の熱気に固まった心がほぐされる。読むだけでも下川氏のアクシデント続きの旅は疲れた心を妙に癒やして、日頃の息苦しさを忘れてさせてくれる。この本は下川流、心の再生マニュアルだ。
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