世界と本「週末アジアでちょっと幸せ」 下川裕治の心の再生旅マニュアル 

世界と本

歳をとってきたせいか長いフライトに耐えられなくなってきた。長いと途中何度もトイレに行かないといけない。食事も緊張する。「ティキン、オア、ビーフ」「パードン」「ティキン、オア、ビーフ」そんなやり取りが面倒くさい。そのくせ酒は何度も注文する。またトイレに行く。不毛な繰り返しである。

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旅は日常からの逃避である

 カルモジインの田舎は大理石の産地で
 其処で私は夏を過ごしたことがあった。
 ヒバリもいないし、蛇もでない。
 ただ青いスモモの藪から太陽が出て
 またスモモの藪へ沈む。
 
少年は小川でドルフィンを捉えて笑った。     

                                       西脇順三郎詩集 岩波文庫
Image by Greg Montani from Pixabay

このようなところへ旅をしたいと子供の頃から思っていた。その願いは晩年を迎えても実現していない。年をとると長旅が苦手になる。だからもっぱらアジアにでかける。長くて4泊5日、短い時は1泊2日になる。

なぜ旅にでるのか。バックパッカーの草分けである下川裕治氏はそう問われて「含蓄にある言葉を期待する人には申し訳ないが、私の答えはいたって単純である。逃げたいから」と答えた。その言葉は自分にも当てはまる。

旅の目的は人それぞれである。世界遺産や名所旧跡、ミュージカル、グルメ、親睦、傷心の癒やし、私がもっぱらとする夜の楽しみなど多岐にわたる。目的は違っても日常生活から開放されるのは同じだ。サラリーマン時代、仕事が煮詰まったときに不思議と海外出張が入った。生産性について工場と対立したときはマレーシア出張だった。

お客の工場は緑に囲まれていた。南国の太陽がまぶしい。工場ではTシャツにスカーフ(トゥドゥンという)姿の女性たちがゆっくりと作業をしていた。彼女たちは急ぐこともない、優雅な動きで部品を運んで組み立てている。日本と全く異なる時間が流れていた。それを見て脱力した。ゆっくりとした女性たちの姿はカチカチになった私の頭を笑っているようだ。こんな働き方もある、日本での対立が馬鹿らしくなった。

東南アジアの時間はゆっくりと流れる

それ以来何度もアジアと日本を行き来した。あるとき街の書店で下川裕治氏の本に出会う。同じことを思っている人がいるのだと嬉しくなった。彼は若い頃から筋金入りのバックパッカーである。彼の足跡は世界中に残り多くの本になっている。旅は、かっこ良さや楽さがなく現地の人達に混じって悪戦苦闘ばかりしている。だから彼の周りにいつも温い時間が流れている。タイでは溢れてくる洪水に足をつけながら食事をしている。タイは洪水でさえもゆっくりとやって来る。

その旅行記のなかでも「ちょっと幸せのシリーズ」が一番のお気にいりである。彼が本気で行くラオスやカンボジアの奥地へは行けないが、この本にある一泊二日の近場の旅なら行くことができる。韓国は日帰り台湾は0泊3日が可能だ。費用も交通機関の選び方次第で安くあがる。週末の土日なら職場への気遣いも必要ない。短い日数で命の洗濯ができる。

本には、韓国の釜山、台湾の温泉、マレーシアのジャングル、中国のシルクロード、沖縄、ベトナム、タイ・バンコクの旅がある。どこも地元の人達の日常生活の場所だ。今はもう政治的にいけない場所もある。彼は週末だけでシルクロードの街、星星峽というウィグルの街まで行く。ストーブをつけても温まらない氷点下の部屋が待つ極寒の時期である。そこで酒が飲みたくなる。氷点下だろうが飲みたいものは飲みたい。誰が買いにいくかで揉めてしまう。酒飲みあるあるだ。

旅とアルコールは切っても切れない。酒のシーンはよく出てくる。韓国行きの下関フェリーで飲むマッコリ、マラッカ海峡の夕日を背景に飲むビール、台湾の秘境温泉の風呂上がりのビールはとても美味そうだ。

週末だけのアジア旅行

彼は日本にいると、他人から後ろ指を差されないように知らないうちに身体に力が入っていると感じている。飛行機が北回帰線を越える頃、その自縛から開放される。旅先でアジアのゆっくりとした時間なかに身を置くと心が再生するという。再生の旅は意外と簡単なようだ。

心が煮詰まったらアジアの旅に出るのが良いかもしれない。韓国の明洞、タイのソイ・カーボーイ、台湾の淡水に溢れる人の熱気は固まった心をほぐしてれる。下川氏のアクシデント続きの旅は日頃の息苦しさを忘れてさせ、疲れた心を癒やしてくれる。この本は下川流心の再生マニュアルである。


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