フィリピン セブ島 マゼランの足跡を残す街を訪ねる

フィリピン

美人がいれば不美人がいる。男にも男前がいれば醜男もいる。自分がイケメンに生まれたらと思うことはある。醜男なのは自分の責任ではない、とわかっていてもアンパンマンみたいに新しい顔に変えられないので悩ましい。今の若手俳優のような顔だったら人生はどうなっていただろう。今更変えても手遅れなのにセブ島の安いホテルでそんなことを考えている。

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醜男手当が欲しい

セブ島までやって来てなぜそんな事を考えているのか。昨夜マンゴーストリートのビキニバーで散々お金を使いすっからかんになってしまったからだ。飛び込みで入った店だったがボラれることはなかった。なのに、こちらから散財して更にマリアちゃんと一緒に帰って来てしまった。

マリアちゃんはお仕事が終わると「カモチャン、今日はタノシカッタネ、明日もマッテルヨ」とご機嫌で帰っていった。レディスドリンク300ペソを何杯飲んだやら、そのうえバーファイン3500ペソにチップである。フィリピン娘はもともと明るいがこの稼ぎだったら尚更機嫌も良くなるだろう。

昭和にサトウサンペイという漫画家がいた。彼が描くのは平凡なサラリーマンの日常である。登場人物は島耕作やサラリーマン金太郎と違い出世には全く縁が無い。普通の社員の人間関係、彼らが見る新入社員や女性社員、宴会や居酒屋の失敗など、誰もが経験したことがユーモラスに描かれる。昭和のサラリーマンは楽しかった。

その一つに「醜男手当が欲しい」がある。イケメンはいつでも彼女がいて無料のセックスができる。だが醜男は彼女ができないので性欲を解消するには風俗へ行ってお金を払わないといけない。ブサメンはイケメンなら必要のないお金が必要だ。これは不公平である。会社は醜男手当を出すべきだ、という主張である。自分がブサメンと認めるのは辛いが賛同したい。

インセルとチャド

昭和のサラリーマンは非モテでも楽しかったが現代は少々深刻である。非モテはインセルになる。インセルはカナダ人女性が提案したインターネットカルチャー概念だ。インセルは自分がモテないのを自覚して恋愛を捨て女性蔑視主義になった男をいう。彼らは自分たちは好きで禁欲をしているのではない、性的経験ができないことや恋愛で失敗するのは全て女が悪いと主張する。

インセルとは逆に性的魅力があってモテる男はチャド、魅力的な女性はステイシーと呼ばれる。ステイシーはチャドに群がりインセルに興味を示さない。インセルはチャドを嫌いながらも憧れている。チャドは豊かな金髪、隆々とした筋肉、蛍光色の緑のズボンから盛り上がる一物を持っている。ドブロックの歌にでてきそうだ。インセルの最高の憧れはチャドの男らしい顎である。

チャドの絵は稚拙に見えるが、セックスや愛、幸福と無縁のインセルが、「自分たち対あいつら」という心理的な構図を得るために重要なのだそうだ。顎にしろ絵にしろ日米文化の差を感じる。インセルの溜まった憤怒は恐ろしい。ときにエリオット・ロジャーのような犯罪者を生む。人間の男にとって女性とつきあえない事は最大のストレスなのだ。特に底辺のインセルは風俗へ行く金がない。米国社会は経済格差が性格差に繋がる厳しい社会になっている。だから余計ひねくれる。

日本のモテない男はまだ恵まれている。日本女性は世界で最も優しい。日本に生まれた男は、ウォーレン・バフェットの「卵巣の宝くじ」に大当たりしているのだ。だからサラリーマンは醜男手当を求めても女性を憎まない。日本に生まれて良かったとしみじみ思う。

サントニーニョ教会が見たい

それを考えながらも昨夜は使いすぎたと後悔する。もし自分が横浜流星のようなイケメンだったらあんなに使わなかった。セブ島に来てまで女性を得るために大枚をはたく事は無かった。醜男はやっぱり辛い。醜男手当おおいに賛成、せめて必要経費として認めて欲しい。

さて醜男なのはどうしようもないので今日のことを考える。せっかくセブ島に来たのだからマゼラン・クロスとサント・ニーニョ教会は見ておきたい。サント・ニーニョは幼きキリストを表し、フィリピン全土で広く信仰を集めている。その絵をマニラのサンアグスチン教会で見て以来、妙に心を惹かれている。仲間にその話をすると馬鹿にされるかと思ったが予想に反して一緒に行こうとなった。

「いきましょう、たまには観光もしないといけませんね」家族に対するアリバイ工作である。「遺跡や観光地を訪ねるときは、その歴史的背景を知っているとより楽しく見られるよ」朝食を取りながらサント・ニーニョとマゼランについて説明をする。どちらかというとインセルのオヤジたちは興味がなさそうにパンを齧りながら聞いている。

フィリピンはアジアでは珍しいキリスト教国である。それは世界一周で有名なマゼランの影響が大きい。16世紀、アジアで採れる香辛料はインド洋から紅海を通り地中海に運ばれた。貿易はアラブ人とヴェネツィア共和国が独占していた。

ポルトガルはこの利権を奪おうと喜望峰を回るルートを開拓しインド洋でアラブ商人の覇権に挑戦した。マゼランは若い頃からポルトガルのインド洋艦隊に乗船して活躍した。彼は優秀な船乗りでるだけでなく、ワンピースの海賊のような戦闘力を持つ男だった。オヤジからみればまさにチャドである。

マゼラン 西回りでセブ島に上陸する

アラブとヨーロッパの争いは1509年にディーウ島沖海戦で決着する。ポルトガル艦隊19隻に対するのは、グジャラート・スルターン朝、マルムーク朝カリカット領主ザモリンのイスラム艦隊200隻である。彼らはオスマン帝国とベネチア共和国の支援を受けている。海戦はマゼランが重傷を負うほど激しかったがポルトガルが勝利する。

さらにポルトガルは、ゴア、スリランカ、マラッカ、ホルムズとインド洋沿岸の重要な港を占領していく。イスラム勢力は衰退する。1509年と1511年にマラッカへ大艦隊を送り制圧し一世紀に渡る香辛料貿易の優位を確立した。日本の鉄砲伝来が1543年だからその30年ほど前に、キリスト教国とイスラム教国と組んだキリスト教国という世界的な経済戦争が行われていた。争いの種は今も昔も金なのである。

マゼランはその後汚職を疑われ、ポルトガルに帰国するが宮廷で冷たくされためスペインへ行き、スペイン国王から香料諸島に西回りで遠征する艦隊の指揮官を命じられる。西回りの航路は知られていたが成功をした者はいない。航路は難関が待ち受けている。部下はポルトガル人のマゼランに反感を持つスペイン人だった。

彼の船乗りの能力は傑出していた。船員の反乱や船の離脱に苦しみながらも、マゼラン海峡を発見し太平洋に入り、フィリピンにたどり着いて1521年にセブ島に上陸する。セブ島のフマボン王は苦難の航海をしてきたマゼランたちを友好的に迎えたのである。

世界一周、マゼランたち、ブラジルで女にモテる 

「なかなか大変な航海だったのですね」「そうだね、船の生活も大変だったようだよ。主食は腐ったような塩漬けの肉やビスケット、風呂に入らない男たち、トイレは舷側から板を出してする。生活は牢獄より酷かったじゃないか」

フマボン王は、マゼランと話すうちにキリスト教に興味をもち、自分の家族と800人の部下と共に洗礼を受ける。そのお祝いに贈ったのがサントニーニョの像である。これに気を良くしたか、マゼランは布教に熱心になりマクタン島の民に信仰を強要する。マクタン島の王の一人ラプラプ王はこれに反感を持ち、他の王と謀ってマゼランを殺害しようとした。

「かもさんの長い講釈は馴れていますが、そろそろ出発ですよ」「もっと海賊のロマンとか色気のある話はないの」「色気があるかわからないけど、今のリオデジャネイロでモテた話はあったようだね」マゼランたちはリオで裸族トゥピナンパ族と出会い歓待される。人食い種族のトゥピナンパ族は男女ともに裸で恥部も隠さず、全身に着色し、オウムの羽で作った腰飾りを付けていた。

「マゼランたちはトゥピナンパ族と極めて友好的な交友を持ったとされるが、どこまでの交流だったかは想像するしかない。だけど長い禁欲のあとだから、どんな女性でもマリリン・モンローのように見えたに違いないね。記録にこんな話が残っている。こんなの見せられたら我慢できないだろう」

ある日のことである。私が旗艦にいるとき一人の美しい若い女性がやってきた。あてずっぽうな目的で来たらしかったが、副長の部屋を眺めやると、指よりも長い1本の釘が落ちているのに気が付いた、女はひどくうれしそうにして上手にそれを拾い、陰唇のあいだにそれを差し込み、深くお辞儀をしてすぐ帰っていった。総司令官も私もこの情景を眺めていた。

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サントニーニョ教会に近づく

そんな話を最後にセント・ニーニョ教会へ出発した。遠くはないがタクシーを利用した。安全という言い訳をしながらも実は昨夜の二日酔いがしんどかったのだ。暫くすると教会の大理石の白いというか汚れた感じがする壁が見えてきた。教会は飾り気が少ないが圧倒的な存在感を持っていた。

その迫力は今も信仰の場として存在することから生まれるのだろうか。遺跡とは異なり人の営みを強く感じさせる。煩悩に満ちた仏教徒のおっさんたちは少し気圧されながら教会に向かった(続く)

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