「かもちゃん、明日はどうするの」「明日は昼はどこか観光して、その後パタヤの友人のところ行こうかと思っている」「そう丁度いいね。私も明日はお仕事しないから」少し前から馴染になったファーちゃんである。彼女は、私が彼女の出勤日には必ず来るものと決めている。明日は12月5日、風俗店は休業だ。

「ファーちゃんは国王のことをどう思ってる」「プミポン陛下(ラーマ9世)はお父さんのようだったかな、尊敬してる」「今の国王様(ラーマ10世ワチラロンコン国王)はどう」「アハハ、日本にも天皇陛下がいるね、尊敬してる?」「僕は尊敬しているけれど、そうでない人もいる」「タイの人はみんな国王を尊敬してる。日本は変わってるね」
旅の教訓 タイの王族関係の祝日は風俗は休みになる
タイ国王は法律で「尊敬し崇拝すべき地位」として人民の最高点に立つ。また「タイ軍の総帥」として軍隊の最高の階級でもある。さらに「仏教徒であり且つ宗教の保護者」で宗教界の頂点にも立っている。とは言え英国やオランダの王様と同じで政治的権力は制限されており、ルイ13世のように何でもできるわけではない。
前プミポン国王は多くの国民から慕われた。軍の信頼も厚く時々起こるクーデターを鎮めている。国王は国民から受ける尊敬で国を動かした。今のラーマ10世はなにかと噂がつきないがタイの人々の王室への尊敬は揺るがない。プミポン陛下の誕生日が12月5日だ。生前はキングスバースディとして亡くなってからは父の日という祝日になった。
タイの祝祭日のなかには禁酒日がある。その日は酒の販売が中止されるのでコンビニや店で酒が買えない。12月5日は禁酒日ではないけれど風俗店は休みになる。王室に関係する祝日と仏教関係の祭日は静かに過ごすのである。最近祝日の時期に訪れなかったので忘れていたが、タイの人達のこういうところが好きである。それを知ったのはもう数十年前になる。
プミポン陛下がご健在の時代、毎年12月の初旬にバンコクに来ていた。雨季が開けて気温も下がる頃に、サラリーマン生活の一年分の垢を洗い流そうというわけである。現地社員に訪問を伝えるとこちらが休暇中でも色々と世話を焼いてくれる。彼らが日本に出張で帰ってきたときはこちらが世話をする。サラリーマン社会は貸し借りが大切なのである。

仕事の教訓 サラリーマンの海外駐在は最高のチャンスである
当時スクンピッドのインパラホテルを定宿にしていた。そのロビーに到着すると大男が三人いた。こちらを見ると近づいてくる。なんだなんだ、一瞬ビビったがよく見ると知っている社員だった。「かもさん、お久しぶりです」「タイ駐在も長くなったね」「本社の偉いさんに言っといてくださいよ」
「帰りたい」「そろそろ帰りたいけど、微妙な所もありまして」海外駐在は辛いことが多いが良いこともたくさんある。特に若い男にとっては楽しいことがいっぱいだ。「副社長から食事に案内しろと言われてます。彼らも一緒です」後ろの二人が頭を下げる。みんな野球と柔道の体育会出身で身長が190センチくらいある。大男が三人も揃うのは珍しい。
「よろしく」私と友人が頭を下げる。「ただ今日はキングスバースディでゴーゴーバーが休みなんです」後ろの二人が声を揃える「カラオケもです」「そんな日があるんだ」「王族関係の祝日と仏教関係の祭日は風俗はお休みなんですよ」このときキングスバースディの存在を始めて知った。黄色いシャツを着た人が多かったのもそのせいか。「今夜は食事だけで我慢しよう」
「いや大丈夫です。探したらありますから」「任してください」若い二人が意気込んで言う。「そんなに無理しなくても明日もあるし」「明日は駄目なんです」「僕達の都合が悪いんです」なんだ君たちが行きたいんじゃないか。彼らは電話をかけたり色んな所へつれていく。だが見事なほどに店は休みだった。
彼らは街では頭一つが抜ける大男なので一緒に歩くととにかく目立つ。恥ずかしがっているうちに疲れてしまった。彼らは余力を残しているようだが王様には勝てない。「残念、奢って貰えるチャンスだったのに」二人が残念がる。派遣型なら開いているがお店で騒げなければ面白くない。もう一杯飲んで帰ろう。
「また来年だね」店が見つからない事が良い酒の肴になった。サラリーマンはこんな馬鹿なことをしながら絆を深めていく。海外駐在員は、私たちのような下っ端だけでなく、日本では会うことができない役員や顧客の偉いさんをアテンドする。その過ごした時間はよい思い出になる。そうしてできた人脈は貴重である。海外駐在は、家族に負担をかけるが出世を望むなら大きなチャンスである。

旅の教訓 パッポンのゴーゴーバーは回復途上だった
思い出から現実に返る。ファーちゃんはパッポンの踊り子である。最近タニヤやパッポンはソイ・カウボーイやナナプラザに押されているが、安心感はこちらが大きい。2024年になって人出はずいぶん回復したが寂しい感じが残っている。通りは露店が勢力を増しゴーゴーバーは減っている。外にいる女性の数も少ない。
遊びの料金もドリンク100バーツ、レディスドリンク170バーツ、ペイバー3000バーツ、チップ2000バーツくらいと高くなった気がする。ファーちゃんの店は赤い壁が目立つゴーゴーバーである。この店は外観だけでなく他の店と違った趣向がある。なんちゃって個室があるのだ。布で仕切られた中で夜な夜な楽しいことが行われているらしい。
それは何か、寡聞にして知らないけれど随分楽しいことに違いない。ただし追加料金がいるそうだ。パッポンの店も生き残るために色々と工夫している。そもそも日本人の姿が少ないのがいけない。日本経済の衰退と少子化がここにまで影響している。日本人は本能を抑制し過ぎるのを止め、野生に帰るべきだ。

旅のお勧め メークロン市場はバスが安上がりである
「それでどこへ行くの」ファーちゃんが身体を寄せてくる。彼女の身体は柔らかい。あさ黒い肌をした細い身体、ひし形の顔に長い黒髪、太い眉、典型的なタイ女性の顔が迫ってくる「メークロン市場はどうかな」「パタパタ市場だね。近くに水上マーケットもある。あんなのが面白いか」「日本でも築地や錦は面白いよ」「それどこ」仰向けになった私の胸の上に乗りかかってくる。この感じ悪くない。
「観光してからパタヤに行くと遅くなるよ。もう一日泊まったら」「どうして」「良い事がある」そう来ましたか、店は休みでもデートはできる。自信満々の言い方に少し意地悪を言いたくなる。「まあ、観光が終わってから考えるよ」こんどは片足が太腿の上に乗ってくる。「夕方電話するから教えて」もう駄目である。
メークロン市場は、線路の直ぐそばに店が並んでいる市場である。電車がやってくると日除けが畳まれる。その空いたスペースを電車が通って行く。日除けをパタパタとたたむからパタパタ市場である。商品と電車の距離は日本では到底考えられないほど近い。
メークロン市場に行くのは、ダムヌンサドゥアック水上マーケットとセットになった日帰りツアーが便利らしい。ツアー料金は1800バーツとお手頃だ。ガイドさんもいい人が多いそうだ。しかし水上マーケットは何回も行ったし一度強盗にあって財布を取られた経験がある。今回も一人だしあまり行く気がしない。メークロン市場だけでいいや。
タクシーで行くのは楽だが、一人だとお金もかかるし、車の中の運転手と二人きりの時間も気詰まりだ。料金は1500バーツくらいで交渉次第、それも面倒くさい。そうなると残りは電車かバスになる。電車は中から市場が見られるのが良いらしい。しかし3時間くらいかかる。バスは1時間半、料金100バーツと圧倒的に安い。いくら暇な親父でもここはバスだろう。
バスはロットゥーと呼ばれる小型バスである。ただバスは乗り方や降りるバス停が難しい、何かと緊張する。さてどうしよう。

旅の教訓 タイへ行ったらロットゥーに乗って見よう
若い頃は少しのお金があればどこへでも行けた。藤原新也の「チベット放浪」や川喜多二郎の「鳥葬の国」を読んでチベットやネパールで真似事をした。開口健の「オーパ」に憧れて釣りにも出かけた。汚い宿屋もテントの寝泊まりも平気だった。不潔で不味い食事も背に腹は変えられないで乗り切れた。
それがどうだろう。働き出して少し懐に余裕ができると、清潔なベッドと美味しい料理でないと耐えられない。そのうえ女性まで欲しくなる。これは文明人に進化したのか、いやどう考えても堕落である。それだけでなく、若い頃に比べるとどんな場所も遠くに感じるようになった。狭くなるばかりだった世界がまた広がろうとしている。これが老いというものか。
「僕はまだ若いかな」「どうして、そんなことを聞くの」「メークロンへの行き方を考えていたら年寄りになった気がしたんだ」ファーちゃんが笑う「こんな事してる人が年寄りな訳ないよ、またこんなにしてるし」それは君が足を絡めてくるからでしょ。たしかに老け込む年ではない、今回はロットゥーに挑戦しよう。

明日はとりあえずロットゥの乗り場のあるエマカイ駅に行ってみようと決心した。「それじゃ、また明日ね」いつの間にか会うことになっている。彼女の腕が絡んでくる。もう一回いいのだろうか。(メークロン市場探検記に続く)
コメント