林さん(仮名)は私の横に座り私の手を優しく握りながら笑っている。頭の中にある曲が流れている。ティアンミーミー、二ィシャオディンティアンミィミィ、ハオシャンフゥアエァカイザイチョンフォンリー・・・とっても甘い、あなたの笑顔は甘すぎるわ、まるで春風の中に咲く花のよう。
甜蜜蜜(ティアンミーミー)は、台湾の歌姫、鄧麗君(デン・リージュン)日本名テレサ・テンの歌である。彼女の甘く澄んだ声にぴったりの名曲だ。

旅の教訓 日式KTVは値上がりしている
女性は恋をすると相手の笑顔がとても甘く感じるようだ。逆に嫌いな男の笑顔は気持ち悪くなる。女心はそういうものらしい。男にとって好きな女の笑顔は蜜の味だ。もうベタベタになるくらい甘い。ただ男は女と違って好きでない女の笑顔も甘く感じる。
今夜は甜蜜蜜よりもっと甘い時間を味わいたくて林森北路にやってきた。コロナで休んでいた店もほぼ復活している。G線クラブ、レジェンド、キャンディ、プリンセス、シュガーベイビーが営業していた。大好きな金年華三温暖が閉店したのは残念だが、制服店(セクシーキャバクラ)やピンポンマンションが増えているので楽しみが減ることはない。
だがどのジャンルも値上がりしている。キャバクラは以前は5万円で足りたが今はそうはいかない。飲むだけで1650TWD、持ち帰りが10000TWDくらいかかる。もともとKTVは高いが大勢で行くと楽しいので止められない。値上げ以外に円安が厳しい。政府はもっと経済政策に力を入れて円高にしろ、と言っても場所が場所の発言だから聞く人間はいない。

林さんの手はやさしく太腿におかれた
林さんの手が私の手から離れて太ももの上に移ってきた。これは一緒に帰ってOKの合図だろうか。久々のKTVだが出だしは上々のようだ。「今日来たのですか」太ももの上を手が動く。「昨日別々にやってきてホテルで集合したんだ」「どうして昨日来なかったの、早く会いたかった」はて初対面のはずだが、心がくすぐられる。
「林さんに会えるんだったら昨日来ても良かった」飲み屋の定番の会話である。普通は恥ずかしくて言えない台詞だが、旅先ではスラスラと出てくる。女は嫌いな男の笑顔は鳥肌が立つらしい。そんな酷いことであればモテない男は生きて行けない。しかし世の中は良く出来ている。
どんな男の前でも女が笑顔になる魔法のアイテムがある。それはお金である。お金によって風俗という商売が成立する。モテない男も笑顔を向けて貰える。もてない男は辛い。しんどいけれど夜な夜な街を徘徊して欲しいものを手に入れないといけない。

旅の教訓 故宮に行くにはMRTの士林駅からバスがいちばん
「昼はどうしてたの」「故宮へ行ってきた」林さんが身体を寄せてくる。温かい。故宮博物院は、国共内戦に敗れた国民党の蒋介石が、北京の博物館から一級品の美術品ばかりを選び台湾に運ばせたものを展示している。その数は117万件とも言われる。中国古代から名品の殆どがここにある。北京にも故宮が所蔵品は質量とも台湾が圧倒している。
博物館は、MRTの淡水信義線の士林駅で降りて国立故宮博物院行きのバスに乗る。有名な観光地なので各所に案内があり迷うことはない。バス停はWiFiがつながる。紅30番のバスが一番便利である。入場料は350TWD、日本の美術館に比べると安く感じる。

旅の教訓 故宮博物館は漢字の世界だった。
博物館は周りに高い建物がなく広々としている。フロアは現代的だが展示物は歴史のあるものばかりだ。最も古いものは山東龍山文化の玉圭である。玉圭は板状の軟玉に漢字を彫り込んだもので高貴な身分を表す。聖徳太子が持っている黒い笏と同じである。この文化が山東省で栄えたのはなんと紀元前3000年頃から紀元前2000年頃である。そんな昔のものが残っているなんて。
西周は紀元前1100年〜紀元前771の王朝である。その時代の青銅の祭器がある。古代の特徴である饕餮(とうてつ)紋が彫られている。饕餮はマット・デイモンの映画「グレートウォール」に出てくる古代の怪獣である。諸星大二郎の中国を舞台にした漫画にもよく出てくる。ファンにとってはたまらない展示室だ。
奏が中華を初めて統一したあとに定めた度量衡の基準である廿十六年詔楕量がある。魏の仏像や唐の唐三彩の人物像、玉を竹簡の竹の代わりにした宋の玉冊や、明の陶器、清の翠玉白菜や肉形石などあらゆる時代の名品が揃っている。

精緻を極める彫刻たち、なぜこんなことができるのだろう
中国といえばやはり玉だろう。古代より中国では白濁した軟玉が好まれた。ここにも色んな玉の彫刻がある。「翠玉白菜」は緑の白菜、「肉形石」は出汁が染みた東坡肉のようだ。とびきり有名なこの二つ以外にも、一つの石から鎖と三個の立方体を掘り出した「黄玉 髄三蓮章」や翡翠の衝立である「碧玉屏風」など素晴らしい。中国4千年の技はやはり凄いのだった。
彫刻はどれも細かい、どれくらいの時間を費やして作られただろうか。翠玉白菜はわざわざイナゴとバッタが彫ってある。モチーフに合う色合いの玉を発見して形を彫り出していく、技と時間を想像すると頭がくらくらする。
翠玉白菜はお土産にピッタリである。これらを彫った職人は自分の作品がプラスチックで無限にコピーされるとは想像もしなかっただろう

現代ではもう作れない彫象牙透花人物套球
驚きの職人の技の極地は「彫象牙透花人物套球」である。象牙の丸い球の中に何層もの球が入っている。一つの球の中を削ってもう一つの球を彫り出す。更にその中の球の中に次の球を作り、それを繰り返えして18層の球が出来ている。
一つの球は独立しているのでくるくると回る(と思う)が、彫出し口が小さいので外にこぼれ出ることはない。球体のマトリョーシカだがその精緻さは格段に違う。球を重ねるだけで凄いのに全ての玉に微細な透かし彫りがされている。清の中期以降、広東地方の象牙彫刻職人が作ったもので、現代の技術ではもう作れないそうだ。
同じような「象牙透彫雲龍文套球」は球の層がなんと24層、23個の球が入れ子になっている。それを親子3代が100年に渡って作った。失敗が許されない過程を想像すると気が遠くなる。中国人の執念は淡白な日本人の想像を超えるものだった。

旅の教訓 ユーモラスな絵画で一服
怪獣のような形の木に彫られた仏様たちがある。遠くから見るとぶつぶつとした木の中央に一体の大仏様がいらっしゃると見えるのだが、近づくとぶつぶつのひとつひとつが仏様と分かる。いったい何百の仏様がいらっしゃるのやら。
これは凄い、あれも凄いと見続けるとけっこう疲れてくる。その気分をほっとさせてくれるのが一幅の虎の絵だ。絵は「蜂虎図」といい清の乾隆帝時代の画家華厳によって書かれた。蜂に付きまとわれ困っている虎がユーモラスで楽しい。華厳は花、鳥、人物、風景を得意とした揚州八奇人の一人である。浮世の苦労に悩む現代人は、この虎の悩みが気に入りお土産を探したが見つからなかった。

旅の教訓 故宮は気合をいれて行こう、でないと漢字に酔ってしまう
「疲れましたね」「そうですね」「そろそろ帰りますか」疲れはみんな同じだったようだ。「お腹も減ったし淡水へ行って食事しましょう」三階から一階まで見たのを潮時に引き上げた。4000年という長い時間に生きた何百億人の人たちが生み出した文化はとてつもなく重い。一個の石から鎖を掘り出したり、三代に渡って24層の球体を造るなんて、中国のエネ゙ルギーにはとうてい勝てそうにないのである。
この疲れは歴史の重さから来るものではない。漢字である。玉圭に漢字、青銅器にも漢字、仏画や山水画にも漢字がある。説明文も漢字だ。どこへいってもとにかく漢字なのだ。中国4千年の歴史は漢字の歴史でもある。漢字とひらがな、浮世絵と西洋絵画、アニメというビジュアルな社会に浸ってきたオヤジたちは漢字一辺倒に圧倒された。

旅の教訓 頭を使った後は下半身を使ってバランスをとろう
素晴らしい博物館だったけれど足りないものを感じる。人はタナトスだけで生きていけない、エロスが必要なのだ。両方揃って初めてバランスが取れる。見終わった私たちはそれを欲していた。お伊勢参りは参拝が終わると精進落としで麓の古市の遊廓に繰り出した。大峰山で修験道の修行をした信者は洞川温泉で遊んだ。私達も淡水で精進落としをしよう、となったのである。

淡水は賑やかなところだった。淡水で海鮮を味わい林森北路のKTVへ行ってホテルへ帰ってきた。傍らに林さんが横たわっている。汗でうっすらと輝く白い肌は和田(ホータン)の羊脂玉のようだ。故宮の玉を思いだし思わず撫ぜると彼女は気怠げに顔を上げて微笑む。こちらは蜜の味だった。


コメント