女性が、この場合は女と言ったほうがしっくりくるが、時々わからなくなる。「カモさん、これ良いでしょう。いひっひ」男が笑いながらスマホを差し出してくる。朝のホテルの食堂である。スマホには昨夜のKTVの女性のあられもない姿が映っていた。「昨日の女性?、どうしたらそんなの撮らしてくれるの」「頼んだらいいんですよ」次の写真が出てくる。どんな風にお願いされたら女性はOKするんだろう。

故宮博物館から淡水へ
昨日、故宮から淡水へ行った後、精進落としと称して林森北路に繰り出した。写っているのはそこのKTVの女性である。私は林さんという素晴らしい女性に出会ったが、写真などは思いつきもしなかった。そのときはもう彼女に夢中だったのである。
故宮博物院は圧倒的な歴史と漢字の世界だった。その重さはビジュアル世界に中途半端に棲息するオヤジたちに想像以上の疲れを与えた。その癒やしのために淡水へ行きちょっと飲もうとなった。淡水は故宮のある士林からはすぐである。MRTの中山駅から淡水信義線で40分位50元で行ける。
故宮の薄暗い照明になれた目に淡水の日差しが眩しい。日傘をさして歩いている人が多い。駅前にある黒殿飯店という中華レストランが有名だが今日は海辺へ向かう。賑やかな老街はかき氷やスィーツの屋台が目を引くどれも美味そうだ。でも今欲しいのはビールである。キョロキョロしていると大きな海鮮レストランがあった。入口のショーケースに甘鯛(グジ)などの魚介類が並んでいる。それを選んで料理をしてもらうのだ。

旅の教訓 淡水では海鮮を食べよう
時間が遅かったせいか店は空いている。小娘が選らんだ魚を指さして何かを言ってくる。早口なので良くわからない。暫くして分かったのは調理法を聞かれていたのだ。そりゃ聞くだろうね。こちらも生のままで出されても困る、焼魚、揚魚、鍋にしてもらった。
小娘たちの顔に、もう片付けて一服する頃なのに面倒な時間に来やがってと書いてある。中国人の態度はわかりやすい。だが気にすることはない、そいうものだと居座れば良い。向こうもたいして気にしていない。最初にでてきたイカの蒸したのが美味い。ビール瓶がどんどん並んでいく。
「このリーベン、昼からこんなに飲んで何を考えているのか」小娘が呆れている。酔っ払いは、そんな小娘たちが俺達に興味を持っていると調子に乗りだした。自分の都合の良い方にしか考えない。彼女たちに何か言わなくてはいけない。精一杯の笑顔で「ハウツー、ヘンハオ」小娘たちが仕方なさそうに笑う。

旅の教訓 レストランの小娘との付き合い方
ドン、次の煮魚がテーブルに置かれた。「シェシェ」「當一個美女給我送食物時,我很高興(綺麗な女性が食物を持ってきてくれると嬉しいです)」ポケトークの声機械的な声が流れる。小娘は苦笑いをする。次は焼き魚だ。そのうち馴れてきたのか彼女たちの顔が自然になってきた。カウンターのあたりでこちら見て笑っている。ビールを追加すると笑顔で「二 フーナンフタイ(飲み過ぎはだめよ)」
〆のチャーハンが出る頃にはすっかり馴染んでいた。「また来てね」帰りは日本語が飛び出した。そうか、女はこの強引さが好きなんだ。オヤジたち恐るべし。「カモさんは紳士的すぎるんですよ」「押しですよ、押し」しかしこの押しが苦手なのである。

そんな事を話しながら、ほろ酔い加減で歩く道は誠に気持ちが良い。綺麗な教会の側を抜けて広々した海岸に出る。ここは夕日の名所らしい、たくさんの人が写真を撮っている。更に歩くとガジュマルの大木が海に張り出した小道にでる。道の片側は海、反対側にはおしゃれなカフェやレストランが並んでいる。こここもなかなか良い。
淡水にもともと住んでいたのは台湾のケタガラン族の人たちだった。そこに、1624年マニラからスペイン人がやってきてサン・ドミンゴ要塞を築いた。1642年にオランダの東インド会社が要塞を奪う。その要塞は、現在は紅毛城として観光名所となっている。オランダ人が赤毛だったことから紅毛城と言われた。そんな歴史があるからか、ここは中国のなかになんとなく西欧の気配がある。

英雄、国姓爺・鄭成功は日本人と中国人のイケメンハーフ
オランダの次にやってきたのは国姓爺、鄭成功である。彼は1661年、台湾からオランダを追い出して政権を樹立した。彼は台湾を拠点にして明を再興しようと考えた。明は1644年に李自成の反乱によって滅びたが、福建に亡命政権があり鄭成功とその父も仲間だった。
亡命政権の洪武帝は、鄭成功の献身と容姿を気に入り自らの「朱」姓を与えた。成功は恐れ多いとその姓を終生使うことはなかったが、朱姓を贈られたことは評判になり国姓爺と呼ばれるようになる。鄭成功は日本人と中国人のハーフである。
父は福建出身の鄭芝龍で平戸に暮らしていた。そのとき平戸藩家臣の娘田川マツと結婚して生まれたのがイケメンの成功だった。後に芝龍と成功は中国へ帰る。幼い弟は母と共に残り田川七左衛門を継ぎ兄を支援する。時は江戸幕府の初期、鎖国が始まってから20年ほど経った頃である。亡命政権の明は日本にも支援を求めた。幕府は鄭成功の貿易を黙認することでそれに答えた。

旅の教訓 一度は行ってみたい淡水
鄭成功たちの奮闘も虚しく明の復興はならなかった。鄭政権も1683年に 滅亡し台湾は清の領土となる。大航海時代になるとイギリスと結んだ北京条約により淡水は開港され、紅毛城の隣に清朝英国領事館がおかれた。19世紀後半までは、台湾最大の港として繁栄するが、日本の統治時代に河口に砂が堆積し大型船の運用が難しくなった。新たに基隆港が建設され淡水は寂れていったのである。
戦後、紅毛城などの歴史的建造物があったことから観光地として注目された。台北捷運淡水線が開通してアクセスが向上すると、台北から気軽に行ける場所として人気が出て今に至っている。

女心の不可解さ
「今夜はどうしましょう、同じ所へ行きますか」写真を持つ男が話しかけてくる。彼の脳に昼の過ごし方は入っていない。この男以外にもう一人、同じ趣味を持つ男がいる。その男もそんな写真をたくさん持っている。被写体は皆素人のお嬢さんである。
その男、年は60歳前、頭が禿げて腹がでている。小金持ちだがとびきりの富豪でもない。結婚をしているのも隠していない。それなのに若い娘とよく付き合っている。そして裸の写真を撮る。写真に芸術性は欠片も無くあそこの大アップも多い。女性のなかに世話になっている飲み屋のママの娘までいる。「お母さんは知ってるんですか」「知ってるわけないやろ」写真を撮らす女性心理は謎である。
この男たちに共通するのは押しが強いことだ。淡水のレストランで小娘を笑わしたような強い押しと少し荒っぽい言葉で、女にどんどん迫っていく。女は、そんな男を嫌がりながら笑ったり満更でもない様子で相手をする。「嫌よ嫌よも好きのうち」というやつである。フェミ界隈の人が聞けば青筋がたつ言葉だが真理なのだ。

人生の教訓 男は女の気持ちが理解できない
だがこの女性心理は見切りが難しい。下手にやるとセクハラと言われてお陀仏になる。好きと嫌のそれを見極められるのは特殊な能力をもった男だけである。普通の男がやると盗撮と言われるだろう。女性も写真の流出やリベンジポルノのリスクがある。それなのに自分の裸を撮らせるとは、女の心は本当に謎である。


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