「美味しかったね、今日のガイヤーンはアロイ、ありがとう」マリちゃんはご機嫌さんである。マリは日本人の女性の名前だがタイの女性の名前にもある。ジャスミンの花のことだ。日本語ではマリと語尾を伸ばさないがタイのマリちゃんはマリィと引っ張る。

バンコクの昼下がりの情事はガイヤーンから始まった。
そのご機嫌なマリちゃんはあられもない姿でベッドに寝そべっている。今日は彼女と前からの約束だったレストランで昼食を取った。ソムタムとガイヤーンとカオニャオ、とガイ・パット・メットマムアンとビールを少々。彼女はこの店のガイヤーンを食べたかったのだ。今はデザートのカオニャン・マムアムを食べている。
「カモちゃん、これからどうするの」「ホテルへ帰ってひと寝入りしてから店にいこうかな」マリちゃんの店はKTV店である。彼女が手を伸ばして私の手に重ねてくる。「アロイ〜、カモちゃんが美味しいものご馳走してくれたから、私もサービスするよ」「サービスって」「これから一緒にホテルへ行ってあげる」サービスと言ってもお金取るよねきっと。「5000バーツで良いよ、お安いよ」
というわけで昼の日中からマリちゃんが裸で寝そべっているのだ。ガイヤーンのお陰でマリちゃんは元気いっぱいだった。上になったり四つん這いになったり、ああしろこうしろといったり、くたびれた中年旦那が叱咤されてるみたいだが本気は良いものだった。今は満足げにくつろぎ、猫が伸びをするように身体をそらしてこちらを見てくる。

イサーン料理店 ガイヤーンチャラダー
今日連れて行かれたレストランは、MRTのスクンピッド駅から三つ目のタイカルチャーセンター駅の直ぐの所にある「ガイヤーンラチャダー」というそのまんまの名前のイサーン料理店だった。イサーンはタイの東北部のことで、料理は辛味と塩味が強いのが特徴である。ソムタムやラープ、ガイヤーンなどタイ料理の代表が揃っている。
確かにさっき食べたガイヤーンは美味しかった。ガイヤーンは鶏を甘辛いタレに一晩漬けて置いてから炭火で焼いた料理である。いわゆる焼鳥だが日本風の串に刺したものではなくグリルチキンだ。インド料理のタンドリーチキンである。彼女によるとこの料理はなかなかに奥が深いらしい。漬け込むタレの調合、鶏の選び方、焼き加減、一緒に出される調味料など、店によって味が違う。特に鶏肉を漬け込むタレは、日本の鰻に秘伝のタレがあるように、店によって自慢のレシピがあるそうだ。
ガイヤーンラチャダーは美味そうな店だった。マリちゃんが、そうでしょと言うように見上げてくる。中に入ると店は広くて気持ち良い。メニューは写真があって観光客でも注文しやすい。もちろんガイヤーン以外の料理も充実している。ガイヤーンは骨付きもも肉が60バーツと、半羽を使ったのが100バーツ、地鶏の半羽が180バーツだった。マリちゃんの希望で地鶏にした。これがとても美味い。
皮は炭火で焼いてあるので香ばしくタレと相まって絶妙な味である。肉は柔らかさと歯ごたえのバランスが素晴らしい。それをタレにつけて食べると鶏肉の旨味が一層引き立つ。マリちゃんに言わせると、普通はナムチムジュウというイサーン料理のダレ(ナムチム)を使うが、ここのはタマリンドを使った特性タレだそうだ。辛さだけでなくフルーティな甘みがある。タレをつけなくても十分でうまいが。

タイは外食文化である
彼女はガイヤーンを食べながらカオニャオをつまんでいる。カオニャオはもち米を蒸したもので蓮の葉っぱに包まれている。葉の香りがオコワに移っているのがタイらしい。ガイヤーンとの相性が抜群なのだ。
デザートのカオニャオ・マムアンもカオニャオを使ったものだ。ココナッツミルクを蒸したもち米に吸わせたものに完熟マンゴーが添えられている。濃厚で甘いマンゴーとココナッツの香りがするもち米が良く会うらしい。私は食べなかったが彼女は満面の笑みである。
「いつもは朝や昼のご飯をどうしてるの」「朝は寝てる、お昼はたいてい屋台で食べるよ」「自分で作ったりしないの」「料理は作んない、だって台所はないもの、作らなくても美味しいものがいっぱいあるよ」タイの人は外食が圧倒的に多いそうである。アパートも中級以下には台所がない。電磁調理器があるくらいらしい。日本の学生マンションみたいなもんだな。「日本はどうなの」「昼はキッチンカーがあるけど少ないから、たいていはお店だね」「お店は高いよ」
日本にもデパートやスーパー、街のお惣菜屋さんがあり、みんなが夕食のおかずを買って帰る。最近は白ご飯も売っているから全ての用は足りる。タイのように外食オンリーになれば共稼ぎの夫婦などは随分楽になるだろう。しかし外食だけは若い人に限られる。食事は家庭でとるものという習慣が一番大きいが、売られている総菜は食べ続けるとどうしても飽きが来る。
日本人はお惣菜一つを作るにも几帳面な職人技を発揮する。調理は食品衛生法など法令で強く縛られる。その結果、美味しくて毎日変わらない味の総菜が提供される。これが飽きてくる理由である。家庭の料理、おふくろの味はその日によって変わる。機嫌が良ければ薄味に悪ければ濃くなるかもしれない。だから飽きない。
かたやタイはどうだろう。屋台の営業は厳しい法律や条例があるが取締りは厳しくない。料理も人と同じようにおおらかに調理される。おっちゃんやおばっちゃん、ときには大きな胸のおねえさんがザッザッと作る。その日の気分で味は振れているだろう。まさに日本の家庭料理なのである。タイの人たちのおおらかさと緩い人柄が屋台文化を作っている。

プラードゥックヤーン(鯰の炭火焼き)の思い出
タイを訪れるようになって暫くして屋台の料理が気になりだした。随分昔になるので今よりずっと衛生状態が悪かった頃である。タイの人は屋台で魚や肉の焼き物、麺を買って帰る。ご飯を入れたビニール袋を下げる人もいた。それが美味そうに見えてきたのである。
「屋台のものは食べない方が良いよ」現地の駐在員が忠告するので止めていたが、日本へ帰る前日の夜、ついに我慢できずに買ってしまった。こんがり焼けたプラードゥックヤーン、ナマズの炭火焼きである。タイのナマズは日本の鯰より頭が小さく鯖の塩焼きのようにも見えた。買おうという気持ちがより強くなる。
私は田舎の子供だったから鯰の味を知っている。川で獲って来ると祖母が背割りにして蒲焼にしてくれた。清流で育った鯰は鰻を蛋白にした感じでとても美味しかった。油濃いのを好まない人は鰻より美味いと感じるかもしれない。そんなことも思い出した。
「ディスワン、プリーズ」あんた日本人のくせに食べられるのかい、と言うようにおばちゃんがじろりと睨む。「アロイ?(うまいのでしょ)」美味いに決まってるだろ、とまた睨まれる。100バーツを出して釣りはいらないの仕草をする。この仕草は何故か簡単に通じるから不思議だ。「アロイよ」おばちゃんは破顔一笑、両手を揃えてお辞儀をしてくれる。タイの人々この仕草はいつみても美しい。
笑いながら小さめのナマズを選びナムチムもつけてくれた。値段は思い出せないが20バーツくらいだったろうから随分乱暴なことをしたものだ。ホテルに持って返りビールの肴にすることした。ナムチムをコーヒーカップの皿に入れて食べ始める。さてお味はどうか、身はホロホロと骨から取れる。良く焼けているからお腹を壊すこともないだろう。
子供の頃の味とは違ったが蛋白ななかにも脂を感じる白身は美味い。ビールと一緒に一気に食べてしまった。何故か自分がタイ通になったようで誇らしい気分である。その高揚は朝まで続いたが、空港へ着いてから奈落に落ちた。とても苦しんだがそれ以降はそんな目にあったことはない。メキシコのモクテスマの呪いである。何事も洗礼が必要なのだ。その後もいろんな洗礼を受けたけれど、タイが料理も女性も美味しい国なのは間違いない。

彼女は眠ってしまった
「かもちゃん、眠くなっちゃった」そんな声が聞こえたかと思うともう寝息を立てている。このタイ人の感覚が良く分からない。何回かあったとはいえ素性もはっきりしない外国人の部屋である。そこで裸で寝てしまう。タイの人たちは遠い昔に日本人がなくした人の本性を見抜く能力を残しているのかもしれない。私が気弱なオヤジで何もしないと見抜いているのだろう。
だからこんなにもおおらかのだ。寝ているマリちゃんは幸せそうな顔をしている、いったいどんな夢を見ているのやら。それにしてもシーツから足を出した寝姿は大胆である。一応私も男なんだけど。


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