日本 富山 ホームで出会ったオカマの愁嘆場

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愁嘆場、今の若い人はあまり使わない言葉である。もとは歌舞伎や芝居で、親子や夫婦、主従などが不幸な状況に見舞われて涙を流す、あるいはそれを見て嘆き悲しむ場面を愁嘆場といった。「仮名手本忠臣蔵」の六段目「勘平腹切の場」『義経千本桜』の死を迎える主人公を囲んでの愁嘆場が有名だ。

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ゼロポイントフィールドからの情報

今はもう過去の響きがする言葉だが、まだ人々の日常に普通に有った頃、そんな光景に出会ったことがある。もう遠い昔身体が自由に動く学生時代だった。金もなく彼女もいない当時はいやらしいことばかり考えていた。求めよさらば与えられん、神様はそんな男に相応しい出来事を度々与えるのだった。

量子力学者でありスピリチュアリストである田坂広志は著書「死は存在しない」で人の意識や記憶は宇宙のゼロポイントフィールドに全て保存されるという。過去から現代までの全ての人の分がそこにある。だから肉体が滅んでも意識は残るから死ないのである。神や仏もそこに存在する。生きている人にそこから情報がやってくることがある。科学者が受ける発明のヒントや宗教家が授かる啓示がやってくる。虫の知らせもその類である。

ただやってくる情報は本人の気持ちに応じたものになる。積極的な気持ちを持てば前向きな情報や出来事がやってくる。否定的な気持ちであれば後ろ向きの情報になる。何も来ないこともある。いやらしい事ばかり考えていると変な出来事に出会う。

いやらしい事ばかり考えていても、それを社会でむき出しにすると変態と認知されてしまう。変態であっても市民権を得られるのは芸術家とアダルトビデオの男優くらいだ。内面で沸騰する性欲は隠さないといけない。そのため青年らしくスポーツに励んだ。間違いが無いように女性に縁がない山登りを選んだ。ゼロポイントフィールドは内面を察知するのか性的な出来事を送り続けるのである。

オカマさんたちとの遭遇

大学の3年生、冬合宿の偵察山行のことである。貧乏学生は夜行列車を学割で利用するので目的地の駅には早朝に着くことになる。その日の富山駅もまだ暗かった。駅の近くに一軒の屋台のラーメン屋があった。周囲の椅子を含めて8人が座ったらいっぱいの店である。幸い客は私達2人だけ、寒い朝の温かいラーメンはありがたい。美味いなぁ、しみじみしながら山の上を考える。

「雪はまだ来ないやろなぁ」「そやな、まぁ新雪も悪くないけどな」「悪くないなぁ」山々を覆う純白の新雪、振り返ると自分たちの足跡だけが残っている。これはなかなか味わえない体験である。「こんな美味いラーメンとは暫くお別れや」「エッセンはサッポロ味噌ラーメンばっかりやもんな」コッヘルで煮立つラーメンが目に浮かぶ。コッヘルは山で使う鍋である。ご飯を炊くお釜にもなる。

「さぁ、いこか」といったとき突然ガヤガヤと声が聞こえてきた。「お腹減ったぁ」「ママァ、ラーメンを食べて行きましょう」「良かったわ、店があって」「そうね」テンションの高い声が響く。話し方は全くの女性だが声音が妙に低い。なんだろう、知識としてはあるが現実に遭遇したことはない、そんな女性たちが現れれた。

「おじさん、席ある」「大丈夫だがや」「お客さんがいる」集まってきたのは女性の集団だ。ラーメンの臭いに強い香水の香りが混じる。いい匂いだ。服装はラフな格好だが、つけているアクセサリーは高そうだ。若い学生は眩しくて目を開けられない。

「あら、みんな座れないわよ」「なんとかならない、オヤジさーん」語尾が伸びる。一人の娘がこちらを見てくる。「可愛い男の子がいる」綺麗だがなんとなく違和感がある。整形か、いや違う。漫画に出てくるような5オクロックシャドウはないが薄化粧の顔に男の影がある。

「僕達もうでますから」「ありがとう学生さん、山登りですか」ママらしき固太りの女性が言う。「はい」「若いっていいわね」写真や映像では見たことはあるが生を見たのは始めてだった。これはなんともはや。立ち上がったまま少し話をしてしまう。彼女たちは新宿のオカマさんで慰安旅行に来たそうだ。店を早めに閉めてやってきたらしい。

今日は観光をしてから温泉へ行くそうだ。風呂はどちらに入るのだろうか。「山の上は寒いのでしょう」「そうですね」妖艶なママの一声一声にドキドキする。「そんな寒いところよりここが温かいわよ」一人が娘が胸を突き出す。セーターから盛り上がる胸は大きい。「馬鹿なこと言わないの、気をつけて行ってらしてね」その声に送られてザックを担いだ。

山の女神を怒らしたかも

こんな事は始めてだった。「えらいもん見たな」普段着だったがニューハーフはまだ若い学生には刺激が強かった。「そやな、なんか良いことあるもしれんな」その期待はもろくも打ち砕かれる。稜線に出る頃に天気が崩れ雨になり、ついに霙(みぞれ)になった。「これヤバイよな」「ほんま、低体温になるんちゃうか」「あのオカマさんの胸で温めて欲しいな」緊張感は全く無い。

「冬季小屋までは無理やな」視界がまったくない。「テントを張ろうか」「ここ稜線やで」「ちょっと危ないなこの状況」風ができるだけ当たらない所にテントを貼る。それでも猛烈な風が吹きつけるのでフライが役に立たたずとても寝られれない。「オカマの呪やな」「そやけど、悪いことしてへんで」「彼女たちの臭いが残っていて山の神さんが怒ったんちゃうか」「かもね」霙は夜半から雪に変わった。

「これ危ないかな」「まぁ大丈夫ちゃう」「これは愁嘆場を迎えるかもしれんな」そこで2日間沈殿した。天候が回復した朝テントから這い出すと山は新雪に覆われ白銀の世界に変わっていた。処女雪に一歩を踏み出す。下山のしながら振り返ると自分たちの足跡だけがずっと続いている。

「僕の前に道はない。僕の後ろに道は出來る」高村光太郎の道程の一節を思い出す。この景色は数日前にオカマさんに捧げた童貞(見ただけだけど)のご褒美かもしれない。青黒い空に太陽が眩しい。終わり良ければ全て良しである、と思っていた。

男の愛の愁嘆場

晴れた日の富山市は立山連峰が美しい。駅前のお風呂屋で汗と汚れを流してとんかつを食べたら夜行の時間まですることが無い。今はもう無くなった駅裏の市場で買ったスルメを肴に富山城公園で日本酒を飲んで時間を潰す。少し寒いが仕方がない。山よりましだ。お土産は「ますの寿司」が買ってある

「ますの寿司」は昔から富山の名高いお土産だった。丸い木箱に笹の葉に包まれたマスの押し鮨が入っている。これがお美味しい。夜行で一晩かけて持って返り家で食べても美味しいし電車で食べても美味い。学生には少し高い代物だが駅弁としてもお土産としても逸品である。ほろ酔い気分で土産を持ってホームへ向かう。後は帰るだけだと思ったが、オカマさんから始まった旅はまだ終わらなかった。

深夜のホームに人影はなく夜行を待つのは私達二人だけだった。酔いと疲れでボーッとしていると向いのホームに二人の男が現れた。一人は黒いコートを着た年配の男、頭が少し薄い。公務員という感じだ。もう一人は厚手のジャケットを着た青年である。髪はフサフサだ。どことなく水商売の雰囲気がする。

二人はホームのベンチに座り話しだしたがその距離感がおかしい、身体を寄せすぎている。変な感じと見ているといきなりヘンリー塚本のAVのようなキスをし始めた。濃厚である。もう吃驚。何なんなのこれは。

二人はそのままで暫く抱き合っていた。若い男が突然立ち上がり年配の男に何かを言って歩きだす。年配の男は驚いて若い男の足にしがみついた。するとなんと若い男は年配の男を蹴り飛ばしたのである。それでもオヤジはニイチャンの足を離さない。まるで金色夜叉である。

ニイチャンはオヤジを振り払って立ち去ろうとする。オヤジは更に強くしがみつく。揉み合っているうちにニイチャンが倒れしまった。二人は絡み合いまたキスをしている。起き上がって再び離れようとするニイチャン、しがみつくオヤジ、二人はそれをホームの端から端へ歩きながら延々と繰り返した。

一体何が起こっているのか。正真正銘のゲイのカップルらしい。ニイチャンがタチ(男役)でオヤジがネコ(女役)である。オヤジはニイチャンから別れ話を切り出されているらしい。捨てないでとしがみついているのである。先日のラーメン屋のオカマさんのような美しさは二人にはない。普通すぎる男が抱き合いキスをする光景は衝撃だった。

愁嘆場と修羅場

ただ美しさには欠けたが二人には愛があったように思う。ニイチャンがサッサと去ってしまわないのは未練があったからだろう。私達の列車がホームに入ってきた。オヤジとニイチャンは再び立ち上がって金色夜叉をやっている。もっと見たい、後ろ髪をひかれるとはこのことか。

あれから長い年月がたった。けれどあの夜を忘れることはない。普通のオヤジとニイチャンが繰り広げた愛の終着駅。LGBTの世界は普通の男から見れば奇妙なものである。硬くて毛深い男よりも柔らかくてスベスベの女が良いにきまっている。だがあの人達は男が良いのだ。そして愛しあっていた。人の性とはまことに不思議なものだ。


この愁嘆場を見たことで私の性のレールは少し曲がったしまったような気がする。オカマの愁嘆場と記憶していたが、愁嘆場ではなく修羅場が正しかったのかもしれない。

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