「うふふ、私もう26歳を越えちゃいました」私の背に手を回しながら彼女が囁く。髪のいい匂いが鼻腔をくすぐる。あれからもう6年もたったのか。でも今が25歳なら初めて会ったのは20歳だったのか、そんなことあらへんやろうと大阪風に突っ込みたいけれど止めておいた。外見はじゅうぶん25歳だし何より気立てが素晴らしい。

何度もいく女
彼女とは大阪のアから始まる高級デリヘル店で知り合った。その当時のホームページのプロフィールは22歳だったが、この店の年齢は一旦記入されると何年たっても変わらない。お客が年をとっても正月が何度きても同じなのである。10年以上同じ歳の猛者もいる。
彼女が店に在籍していた頃、いつものように甘美なひと時を過ごし、彼女が下着をつけワンピースのファスナーを上げる優雅な仕草を見ていた。いいねぇこの光景、と思っていると彼女が微笑みながら「長い間ありがとうございました、私来月で辞めます」という。唐突な宣言に驚き、それに続いて残念な気持ちがこみあがる。「別の店に行くの」「お金が溜まったので業界から上がります。もとからそう考えていたし」
「それは良かったね」と言葉では言うものの、もう会えないと思うと下半身が悲鳴を上げていた。彼女は清楚な外観から想像できないほどベッドの上で奔放になる。何度もいく姿は男冥利に尽きるのである。彼女自身いき過ぎて疲れてしまうので一日二人の応対が限界だそうだ。演技だとしても決してそれを感じさせないレベルである。突然の告白に天使が通りすぎ、谷九のホテルの一室にしばしの沈黙が流れた。

谷町九丁目を谷九と呼ぶ
せっかちな大阪人は谷町九丁目を谷九と呼ぶ。その大きな交差点からすぐ近くに、生島神(いくしまのかみ)足島神(たるしまのかみ)を祭る高名な生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)がある。神社はもとは石山本願寺の隣にあったが豊臣秀吉が大阪城を築城するときにこの場所に移された。石山本願寺は浄土真宗本願寺派の顕如を法主に織田信長と長く戦ったことで知られる。
祭られる両神は平安時代は常時宮中で奉斎され、天皇の即位儀礼の一つである難波の八十島祭(やそしままつり)の主神にも祀られる重要な神々である。近代社格制度においても最高位の官幣大社だ。参道は並木はあるが短い。平日の昼下がりに境内に入ると人も少なく砂利を踏みしめる音だけが響く。私は時間調整のためのこの神社へよく行っていた。
神社を出て交差点の方向を眺めると、側道にレクサスやアルファードなどの高級車が何台も止まっている。なぜ高級車がこんなに止まってるのだろう。さらにその先にはラブホテルがいっぱいある。アトランティスにZEN生玉、勉強部屋、MYTH Seleneなど、国籍無用の看板が出ている。神聖な神社の傍にファッションホテル街、恐れ多くないかと思えば、お寺さんが土地活用のために始めたのがきっかけでこんなに増えたらしい。
副業から始まったホテル経営は、時代のニーズに合ったのか、おおいに流行して今の規模になった。風俗の世界でもケインズの法則は働く。ホテルが増えると一般客だけが施設を利用するのはもったいない、寂しい独り者にも機会を与えてやろうと思う危篤な人がでてくる。デリヘルが店を構えだした。ホテルの直ぐ傍だから派遣時間が短い、客、店、お嬢さんみんながウィンウィンだ。かくして店は増え続け、梅田、日本橋と並んで大阪デリヘルの三大メッカとなったのである。

谷九で出会ったいい女
彼女にあったのはそんな谷九だった。名前は仮にモモちゃんとしておこう。その店は最初に客の面接がある。スタッフが女性と一緒に部屋にやってきて証明書を確認してゴールドの会員証をくれる。ゴールドカードが簡単に一枚増える。だがこのお店少々高い。VIPレディとクラブレディがいてVIPはもっと高いが、失望することがまず無いのである。
クラブレディの彼女は何回か利用しているうちにやってきた。白いレクサスが止まり、身長160cmくらいの細身の女性が降りてくる。華奢な身体を薄いブルーのワンピースに包んでいる。目が合うと「おまたせしました〜」と甲高い声を出して腕を絡ませてくる。若い女性は濃厚さが足りないことがあるのでちょっと不安になったが全くの杞憂だった。一通り終わって仰向けになって話していると、私のあそこをまさぐり「うふふ、いいですか」と乗りかかってきて・・・と自分でいくような娘だった。
そんな彼女と別れるのは辛いが、業界を上がるなら仕方ない。断られてももともととラインの交換をお願いするとあっさりと受けてくれた。彼女が店を上がってから何回かやりとりをして、夜のお付き合いを受けてくれるようになった。ホテルへ行って食事をして帰るのがいつものコースだったが、人前でも平気で腕を組んでくるし手を繋いでくる。身体を密着させて話かけてくる。
そんなことして大丈夫、あまりにも年齢ギャップが大きくて怪しすぎるが気にしないのである。食事の会話も楽しい。彼女が出会ったデリヘルの奇妙なお客様の話は最高だった。3か月に一回くらいの出会いはいつも充実して、彼女は私にとってまさに女神だった。

SNS時代の絆は細く儚い
若い恋人たちは別れがやってくるとは信じない。よい歳をしてそんな気分になっていた。会うが別れの始め、始まりがあれば終わりがあるのを忘れていた。おっさんの勘違いは特大だった。いつものようにラインを送ったが返事がない。既読にもならならない。また会いたいという彼女のメッセージの下に自分のラインが虚しく並んでいくだけだった。
そのあともアカウントは消えず、宙ぶらりんな状態が続いている。ほんとうは業界からあがっていなくて繋がっていたスマホはお店のものだったのか、なにか事件に巻き込まれたのか、想像は膨らむけれどラインは沈黙したままだ。
別に恋人でもないから冷たいも何もないのだが、ありがとうくらい言いたかった。いやもう一回したかった。何があったのか分からないままの別れは寂しい。現代人はSNSでいつも繋がっていると思っているがその絆はあまりにも細い。相手の全人格が分からなければ家も知らない。毛細血管のような細い絆は簡単切れてしまう。そうなったらもうお終い。現代に生きる若者たちの恋が難しいのがわかるような気がする。

SNS時代の別れはこのようなものか、ほろ苦さが残るものだった。思い出せば生國神社で時間調整をよくしていた。そのばちが当たったのかもしれない。
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