「いらっしゃいませ」日本語である。年は30歳を過ぎているようだが綺麗な女性だった。「リーファです」「僕はかもちゃん」「かもちゃん」とくすっと笑う。笑顔が可愛い。「日本語を喋れるの」「少しだけ、旅行で来てるの」ちょっと違和感を感じる、アクセントがきついのである。
日本人と違うのは当り前だが台湾女性が話す日本語ともなんとなく違う。顔も台湾女性の可愛いたぬき顔でなくクールビューティーな面長である。身体付きもがっしりしている。そんな事を考えているここは台中の繁華街だ、今日もまた道を間違った。

旅の教訓 今も台湾の人から尊敬される八田技師のダムを見に行こう
誰が頼んだかテーブルに「八田」という烏龍茶焼酎が置かれた。これは日本人技師八田與一氏の功績を称えて台湾で作られている。焼酎を飲む前に紹興酒で酔った私が講釈を始めると、みんなの顔に「またかよ」の表情が一斉に浮かんだ。だがもう止まらない。尊敬する三人の人物の話だと尚更である。一人はアフガニスタンで灌漑用の運河を作った中村哲医師、リトアニアでユダヤ人のためにビザを発行し続けた杉原千畝大使、そして台湾でダムを作った八田技師である。
「八田技師は、戦前の国家的プロジェクトである台湾南部の巨大ダム建設を指揮して成功した人なんだ。ダムは広大な嘉南平原を農地に変えた。その結果多くの台湾人、当時は日本人だったけど、を豊かにしたんだよ」焼酎が差し出されるともう止まらない。
「今も台湾の人に尊敬されていて教科書にも乗っている。ダムの傍にある銅像がまた良いんだね。地元の人が感謝の気持ちで建てたんだけど、偉そうなポーズは嫌だと言って、座って考え事をしている姿なんだ。人柄が現れてるね。八田技師は次にフィリピンの灌漑事業に派遣されるんだけど、途中乗っていた輸送船が米国の潜水艦に雷撃され亡くなるんだ」
「彼の奥さんはその後も台湾で暮らしていたんだけど、敗戦で台湾から離れないといけくなる。夫との思い出がある地から去るのを嘆きダムの放水路に身を投げる」このあたりになると涙腺が緩んでくる。「悲劇になったけど、今でも八田夫妻は台湾の人達に愛されている」
「そんな偉い人なのに日本ではそれほど知られていないですね」「教科書にのってたかしら」「この焼酎けっこういけますね」日本では知らない人が多いようだ。なぜ子供にもっと教えないのだろうか。台湾統治時代の人だから軍国主義の賛美に繋がると考えられているのかもしれないが、こんな素晴らしい技術者がいたことを知れば、子供の理系離れも減るはずだ。

行き当たりばったりで、烏山頭ダムへ出発する
蘊蓄話をしているうちにダムが見たくなってきた。足を投げ出して考え事をしている銅像も見たい。みんなは明日帰国するが、私は明後日帰国なので明日行こうと決めた。酒に霞んだ頭でネットを調べると台鐵の新営駅からバスが出ている。
高鐵(新幹線)の嘉義駅まで行って台鐵に乗り換えれば簡単にいけそうだ。運賃は1015元。お気楽に考えて出発したが色々と間違っていた。高鐵嘉義駅から台鐵に乗り変えようと思ったらの台鐵の駅がない。どうしたことだろう。高鐵と台鐵の駅は鉄道で繋がっていなかった。少し焦ったがシャトルバスが出ていた。
高鐵のチケットを忘れるな、と駅員さんが言うので何故かわからながら切符を握ったまま向かう。バスの料金は48元だが高鐵の切符があればタダになった。高鐵嘉義站から嘉義市轉運中心まで約20分、その間はドキドキものである。日本でも知らない街のバスは難しい。
なんとか台鐵嘉義駅につくと今度は電車探しだ。駅舎は近代的だが在来線のホームはひなびた感じである。この駅から阿里山鉄道が出ていた。阿里山といえば烏龍茶の逸品である。その山への観光列車でありホームに乗客が多くいる。この鉄道はもともと木材を運びだすために日本が作ったものだ。それを今も大切に使ってくれる台湾の人が嬉しい。予定を決めて来たわけでもないし烏山頭ダムは止めて阿里山鉄道へ乗るのも悪くないと思う。乗っちゃおうかである。

旅の教訓 烏山頭ダムはとても広いので観光はタクシーが最適
いやいや初志貫徹だと思い直して在来線に乗る、料金33元で20分程揺られると目的の新営駅に着く。途中乗り過ごさないように緊張した。新営駅は急行が止まる大きい駅だがダム観光はここでなく隆田駅が一般的なようだ。まぁ降りてしまったものは仕方がない。それより腹が減ってきた。
駅の周囲を探索すると寿司屋らしき店もあったがここまで来て寿司はないだろう。さらに歩くといかにも台湾という店が出てきたので饂飩麺を注文した。饂飩麺とは歯痛が痛いのような感じがするが、饂飩は台湾ではワンタンのことだから良いのである。味は微妙だった。
腹ごしらえをしていよいよ烏山頭ダムへのアプローチである。タクシーかバスか悩んだ末に節約してバスを選んだ。しかしこれは大失敗だった、理由は着いてからわかる。台南芸術大学行きのバスに乗る。ダムができる前、車窓から見ている景色はどのようなものだっただろう。八田技師は荒涼とした草原を見て何を思ったか。責任の重さに押しつぶされそうになったかもしれない。
日本になったとはいえ人も社会も文化も違う台湾である。そのような土地で地元の人々を豊かにするために大々的な土地開発を行う、戦前の人達は現代人より遥かにグローバルな意識を持っていたようだ。40分位かかって烏山頭水庫でバスを降りる。やっと来たかと感慨深いがここは物凄く広い公園だった。
案内板にある場所を歩いて回るには2〜3時間くらいかかりそうだ。烏山頭ダムは黒部ダムなど日本のダムと違って、ロックフィルダムというたくさんの石と土で作られているから大きい。観光地というよりハイキングコースだ。全て見るにはタクシーが必要である。2時間1000元くらいなので利用したら良かったと後悔した。

旅の教訓 八田技師記念館は必ず見よう
全て見るのは諦めて、八田技師記念館と機関車と銅像をみて元気があったら堤のところから湖を見ようと決めてトボトボあるき出す。ここで水庫とはダムのことだと気づく。お金を貯めるのが金庫、水を貯めるから水庫、なるほどね。ちなみに入場料は100元だった。
八田技師記念館で八田技師の人格に圧倒される。建設は徹底的に台湾の人ファーストだった。工事はみんが幸せに働けるように福利厚生の施設、や宿舎、学校、病院の建設から始めている。1920年から工事は始まり、途中大きな事故や関東大震災による予算削減などの苦難を乗り越え1930年に完成する。予算削減で従業員を解雇しなければならなくなった時は「有能な者は直ぐに仕事が見つかるから有能な者から解雇する」として再就職を懸命に探した。そんな展示を台湾の人が熱心に見ていた。

次に湖を横にみながら銅像の場所に向かう。銅像は座って足を伸ばし何か考え事をしていた。工事中もこのようだったのだろう。銅像の視線の先に珊瑚潭がある。ダム湖である珊瑚潭は面積が58キロ平米ある。琵琶湖の10分の1くらいだが大きいダム湖である。複雑に入り組んだ湖の形が珊瑚に似ているから珊瑚潭と呼ばれる。湖の中にところどころ島が浮いて遊覧船が走っている。
空が広く心が開かれるような風景である。満々と水が溜まった湖を見たときの人々の気持ちに思いを馳せる。村人の中には毎日毎日水が溜まって行く様子を見に来た人もいただろう。放出された水が水路に溢れたときは、歓声がダムに響き日本人も台湾人も共に喜びあったに違いない。湖は八田技師が尊敬を受けるに値する光景だった。銅像の近くにダム建設で殉職した134名の人の殉工碑がある。台湾の人たちと一緒に合掌した。

烏山頭ダムは贅沢な時間が流れていた
またトボトボと堤のところまで歩いて行く。5月なので暑さは耐えられないほどはないが水がほしい。外国の公園には自動販売機がない。堤のところで暫く湖を眺める。太平洋戦争以前、日本の領土は北は樺太からアリューシャン列島、南はトラック諸島、パラオまで及んでいた。その広大さにクラクラする。日本人は各地で住人たちのためにインフラ整備を行った。北朝鮮にさえ今も現役のダムがあるそうだ。烏山頭ダムもその一つでありなんだか誇らしい。
烏山頭ダムは良いところだった。八田技師の偉業を改めて知ることができた。同じ人間なのに八田技師のような偉人もいれば自分のような凡人もいる、いったい人生のどこで違ってくるのだろう。珊瑚潭に問いかけるが、そんなおっさんの戯言に答える義務はないとばかりに湖は静まりかえっていた。
吊橋とか天壇とかもっと見どころはあるがこのあたりが潮時だ。日の高いうちに帰ろう。また歩いてバス亭にもどり一人ポツンとバスを待つ、随分長い時間待っていた。子供時代に行った田舎のバス停を思い出す。時間を忘れていた。これってとても贅沢なんじゃないか。

せっかく台中まできたのだから寄り道してスパへ
またバスに乗って新営駅、嘉義駅まで帰ってきた。高鐵の嘉義駅にくると、せっかくここまで来たのだから台中によって噂のマッサージでもして帰ろうと切符を買ってしまった。もうダムの事を忘れている。ネットで調べて有名な店に行く。値段は1600元(くらい)だった。そこで出会ったのがリーファちゃんである。
「韓国からきてるの」「わかる、嫌?」「そんなことないよ」「ここは中国やタイの娘もいるよ」「そうなんだ」「韓国はどこから」「釜山から」韓国女性はたいてい釜山というから信疑はわからない。「小娘でもアガシでも美人だったら良いよ」
リーファちゃんは笑って、ここがしおどきとばかりに軽くハグしてタオルと紙パンツを渡してくれる。自分でシャワーを浴びなさいということだろう。せっかく台湾まで来ているのに、それも台中なのに残念だなぁと思いながらも、あそこはしっかり元気になって水を弾いていた。

マッサージは絶品だった。身体のコリがみるみるとれていく。やがて紙パンツがどこかへ行き柔らかい手に包まれるともういけません。こみ上げる快感に包まれながら、今日もこうして道を外してしまった、この積み重ねが今の自分を作った。珊瑚潭の風景が蘇る。まぁいいかと目を瞑った。
コメント