タイ ゴーゴーバー ピンクガネーシャはパワースポットだった

タイ

タイはコロナ以前に戻ったようでタニヤもパッポンも、ソイカウボーイ、ナナプラザも賑やかになっている。世界中を席巻したコロナもいよいよ収束の時期に入った。コロナで狭くなった世界がまた広くなってきた。なんと素晴らしいことだろう。

あの暑いバンコクが戻ってきていると思うといてもたってもいられない。コロナはただでさえ息苦しい日本社会をさらに生き辛い社会にした。「北回帰線を越えると、日本でがんじがらめに縛り付けられた心が軽くなる」とバックパッカーの下川裕治氏は書いている。海外は失敗や戸惑うことが多いが、日本に閉じこもっているよりも何倍かよいのである。

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旅の教訓 ATMはお金が出ないときがあるので要注意

アジアの都市には多くのATMが設置されている。一人の日本人がそのATMの前に立っている。隨分焦っている様子だ。VISAでキャッシングをしようとしているが、レシートばかりでお金が出てこない。レシートにはしっかりと出金が記載されている。

そんな操作を5回繰り返したので合計金額が大きくなった。このまま借金だけが残ったらどうしようと不安になる。だが電話で問い合わせる勇気がない。お金は出ていないので大丈夫だろうと諦めた。結局は大丈夫だったがその心配はカードの請求日まで続いた。後から調べるとこのようなことはたまにあるらしい。ATMにお金が無くなっているときや機械の調子が悪いとレシートだけが出てくる。日本のような精度は無いのだ。

ATMで焦る羽目になった理由は簡単で、懐が寂しくなったからだ。アジアに来るたびに、夜遊びでたくさんの金を使ってしまう。どうやって浪費を防ぐかを考えた結果、現金を持たなければ我慢できるはずと思いついた。馬鹿な考え休む似たり、その甘さを一晩で知った。

「お金を持ってこなかったので使わない」と「お金が無いので使えない」は全く別のものだった。何時でも何処でもお金を引き出すことができる現代の技術の発達は、おっさんの甘い目論見を粉砕したのである。

旅の教訓 「お金を持たない」は抑止力ではない

そもそも店に行かなければ良いとも考えたが「そんなこと言わないで行きましょうよ」「見るだけでもどうすか」「歌うだけでも良いじゃないですか」という誘いに流されたところが運の尽き、いつもと同じになっちゃった、である。綺麗な女性を見れば我慢できる筈がない。「持ってこない」くらいでは男の欲望は止められないのだった。

玄宗皇帝やアントニウスは国を無くし、カルロス・ゴーンは会社をなくした。みんな女性の魅力に勝てなかった。まして凡人が耐えられるはずがない。だがこの金欠はどうしよう。食事はキャッシュレスでなんとかなるが夜の遊びはセキュリティからも現金で払いたい。友人に借りるのは気が引ける。さぁ困った。昨日行ったガネーシャ様とネズミが助けてくれないものか。

旅の教訓 最強のパワースポットワット・サマーン・ラッタナーラーム

昨晩のことである。ATMの前で立ち尽くすことになった原因のマニーちゃんが側にいる。止めようと思っていたのに彼女と一緒に帰って来てしまった。明日ATMでお金をおろしたらいいや、で直ぐに我慢を忘れてしまった。でも二人の時間は楽しかった。

「観光に良いところないかな」彼女の太ももに手を這わせる。「ワット・プラケオはどう?」「バンコクのお寺はたいてい行ったよ」(もちろんこのようなスムーズな会話が行われたわけではない。日本語と英語のちゃんぽんである)

「それだったら、ワット・サマーン・ラッタナーラームがいいよ、パワースポット、お願いが3倍早く叶うんだよ」そこいいかも。彼女を抱き寄せる。「ちょっと離れているけどバスでいけるよ」「そうなんだ」「良いことあったらまた会いに来て」もう言葉は必要なくなった。

旅の教訓 ワット・サマーン・ラッタナーラームはタクシーが便利

タイは信仰の厚い国であり、政府の公式ホームページにパワースポットのコーナーがある。パワースポットはタイの至る所にある。ワット・サマーン・ラッタナーラームもその一つである。ページを開くと大きなピンクのガネーシャ様が涅槃のポーズでいらっしゃる。

以前からピンクガネーシャに興味があった。これはみんなを説得して行かねばならない。MRTのエマカイ駅からハイエースを改造したロットゥーという乗合いバスが出ている、それでチュチュンサオまで行って、今度はトラックの荷台を座席にしたソンテウという乗合いタクシーに乗る。

値段はそれぞれ99バーツと30バーツである。安いけれど慣れてないと乗るのが難しそうだ。タクシーを利用すると往復3000バーツかかるが、4人なら一人750バーツである。バスなら往復260バーツでちょっと差がある。「現地の乗り物は難しいんじゃないの」と言う一人の意見でタクシーに決まった。おっさんは旅情より快適さを優先する。

タクシーの中では相変わらずお下品きわまりない会話である。「昨夜の彼女は激しくてね、キティちゃんのTシャツを渡しましたよ」この男は日本から買ってきたTシャツを気に入った嬢に渡す癖がある。「私の彼女はいまいちでしたね、顔は可愛かったけど」これは何回もしようとして嫌がられたのである。

ガネーシャ像は大きく派手だった

もし運転手が日本語を理解できたら途中で降ろされたかもしれない。そんな会話をしているうちに2時間が過ぎ、ワット・サマーン・ラッタナーラームに着いた。寺は新しくて大きい。拝観料は無くて誰でも入れた。境内にはガネーシャ様以外にも色んな神様がいる。アニメのキャラクターまで居る。スーパーもあれば食堂もあってお寺というよりテーマパークのようである。

そのなかでも主役はやはりガネーシャ様だった。大きく派手派手のピンクの姿は迫力満点だ。寝転んだ姿は遠くから見るとユーモラスだが近づくと顔が少し怖い。はてガネーシャ様はヒンドゥー教の神様ではなかったか。それにインドでは胡坐をかいたり立っていたりで寝転んでいない。

ガネーシャ様はこうして誕生した

ガネーシャ様は像の頭に四本の手を持ち牙の一本が欠けている。この神様はヒンドゥー教のシバ神と女神パールヴァティの間に生まれた。なぜ像の頭なのかについては二つの伝説がある。そのうちの一つはこうである。こちらが好きなので紹介したい。

シバ神は長い旅を終えて家に帰ってきた。ドアを開けると浴室からシャワーの音がする。シバ神の脳裏にパールバティの裸体が浮かんだ、シャワーの水を弾く豊満な体である。シバ神は「帰ったよ」と声をかけるがパールバティは水の音が邪魔をして聞こえない。

もう我慢できない、シバ神は返事を待たずに浴室へ入ると「会いたかったよ」とパールバティを抱き寄せる。パールバティも「まぁ、あなたなの驚いたわ」と甘い声を出して豊かな身体を預けてくる、はずだった。ところが浴室の前に子供がいる。

「入っちゃだめ」なんだこいつは「どけ」「だめだよ」と子供は譲らない。シバ神は腹を立て子供を張り飛ばしてしまった。子供は倒れて頭から血を流している。人間ならこんな風だろうが、神様はもっと激しい。シバ神は子供の頭を切り落として遠くへ投げ捨ててしまう。

パールバティはその音に驚き慌てて浴室から出てくると子供がぐったりと倒れている。「なんてことを、この子はあなたの子供なのよ」と泣き崩れる。彼女は泣き続ける。

シバ神は、泣き続けるパールヴァティに困り果て、また自分の子供だったと知るとなんだか不憫になってきた。そこで捨てた頭を探しに行くことにした。随分探したが見つからない、もぉこれでいいかと出会った像の頭を切って子供につないだ。像にとっては災難だったがガネーシャは生き返った。

願い事は決まったネズミにお願いする

ガネーシャの名前は「群衆の長」を意味している。ガネーシャはつらい思いをしたからか人々に優しい。あらゆる人の障害を取り除いてあげる神様になった。人々の除災厄除・財運向上の願いを聞いてくれる。「富の神様」として人気があり、偶像崇拝を禁止しているイスラム教徒の店にも像が置かれる。仏教にもちょっとエッチな神様歓喜天としてで入っている。

せっかく来たのだから何かお願いをして帰らないといけない。お願いはガネーシャ様でなく周りにいるネズミに頼むことになっている。自分の生まれた曜日に決まった色があり、その色のネズミに頼むのである。

ネズミはゲゲゲの鬼太郎のネズミ男を彷彿とさせる。ほんとにこのネズミに話して大丈夫なのなのだろうか、疑ってはいけない。傍の台に上ってネズミの耳に願いを囁くのが礼儀である。そのとき反対側の耳を手で押さえないといけない。そうしないと願いは反対側の耳から出てしまい、ガネーシャ様に届かない。右から左に素通りしてしまう。馬耳東風である。

パワースポットの威力やいかに

お願いを伝える終わるとホッとする。みんな何をお願いしたのだろうか、誰も言わないのが怪しい。帰りはタクシーに追加料金を払い近くのレストラン寄ることにした。店は河に面し屋外テラスが気持ち良い。出てきた川エビ料理は抜群だった。

ビールを飲みながら話すのは今夜のだんどりである。「さっきお願いしたからいい事があるかも」「何かそんな気がします」「パワー・スポットを教えてくれたマニーちゃんに感謝ですね」彼らの願いのなかみが分かってしまった。ネズミたちが不埒な願いをガネーシャ様に伝えたかは疑わしい、だがその夜はみんな満足できる女性に当たったそうである。

旅の教訓 セブンイレブンのATMは便利

やっぱり友人に借りるしかないかと諦めかけた、そのとき道路の向こうにセブンイレブンが目に入った。セブンのATMは馴染んでいるので操作が簡単で無事に借りられた。ガネーシャ様とネズミの功徳だろうか。ありがたいことである。今夜はガネーシャ様を教えてくれたマニーちゃんのところへ行かねばならない。

しかしこれは私にとって良いことなのだろうか。また夜遊びができるようになりお金を使ってしまう。ガネーシャ様の功徳はマニーちゃんの所へ行ってしまうのではないか。少し考え込む。楽しめるのだからまぁ良いか。「そうでしょう、私に会いたい願いは叶ったね」彼女の笑顔が浮かぶ。叶えてくれたのは神様でなくお金のような気もするが。

現金が必要な遊びをするなら余裕のある額を持っていくのが良さそうだ。どうせ我慢できないのだから。

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