バンコクの近くに有名な水上マーケットが三つある、一番近いのがタリンチャンで入り口に長いアーケードがある。その下を一人の男がトボトボ歩いている。手にはマンゴーの入ったビニール袋が揺れている。
このマンゴー、近くの売店で買ったのだが恐ろしく酸っぱい。ほんとうに売り物なのか、こんなものを売るなんて、食べられないが捨てるわけにもいかない。強盗のせいで酸っぱいマンゴーと格闘するハメになった。もう半泣きである。

バンコク マッサージパーラーはサクッと終われる
バンコクへは昨日着いた。他のメンバーと明日合流するので今日一日は一人旅である。一人なのと節約のため電車でスワンナプーム国際空港からバンコクまで移動した。マカサン駅まで22分35バーツ(約140円)くらい、タクシーに比べると圧倒的にコストパフォーマンスが良い。安いだけでなく渋滞がないので快適である、マカサン駅からBTSに乗り換えて宿泊ホテルのあるシーロム駅まで、こちらも30バーツと安い、タイの公共交通機関は本当に安いのである。
昨夜は日本人に有名なマッサージパーラーのポセイドーンへ行ってきた。コロナの間は日本レストランになっていたがいつか復活すると信じたい。3階のガラスの向こうのひな壇に女性たちが並んでいる。そのなかのリューさんという中国人のような名前の女性を指名した。リューさんは名前だけでなく性格も中国人のようだった。
フェイクらしい胸を見せつけながら「リューさんに任せておけば大丈夫」「服を脱ぎましょうね」「お風呂のふちは滑るから気を付けてね」「私が上ね」すべてリューさんの指導で進む。気立ての良い姉御だったが、風俗というよりなんとなく介護されている気分になる。
彼女が上であっという間に終わり「お風呂のふちは滑るから・・・」と手を引かれて、まぁいいか。帰る道筋にあるイオンで晩酌のつまみを買って電車に乗る。けっこうバンコクを分かってきたじゃないか、と自慢したくなる。ポセイドンでは2000バーツほど使っただろうか。

話しかけてきた親切な男
仲間と合流するまで何をして過ごそうか、と大好きな朝食のスイカをかじりながら考える。アジアのホテルの朝食はたいていスイカがあるのがうれしい。喉が渇いた朝の身体にピッタリだ。近くのルンピニー公園を散歩して一汗かいたらシャワーを浴びて昼寝でもしよう。
ホテルから出るとムッとする空気に包まれる。ラーマ6世の像を見ながら広い公園を進んでいくと大きな池があり、そばにある屋台とや大きく育った樹々がタイらしい。池の傍に動くものがいる、大きなトカゲだ。これが噂にきくミズトカゲか、大きな物だなと感心していると声をかけられた。「日本の人ですか」振り返ると30歳くらいの小柄な男が立っている。
「トカゲ、いっぱいいます」と彼は話しだす。東京の大学に留学し、卒業したあと暫く日本で働いていたが最近タイに帰ってきた。日本が懐かしく日本人を見つけて話しかけているそうだ。後から考えると、そもそもこの話からしておかしい。わざわざ見つけなくても、バンコクに日本人は掃いて捨てるほどいる、しかしそのときは気にならなかった。
彼は続ける。「観光しませんか、案内しますよ」「ガイド?」「いやボランティアですよ」と人懐こく笑う。その笑顔を信用してしまい「水上マーケット行きたいな」と言うと「タリンチャンへ行きましょう」と答える。

水上マーケット、タリンチャンはバスが安い
タクシーで行こうというと、もったいないしバスのほうが旅らしいのでバスで行きましょうときた。それもそうだな、彼につれられてBTSチットロム駅の近くの伊勢丹のバス亭に向かい、黄色い79番に乗る。タリンチャン・フローリンク・マーケットまで18バーツだ。てきぱきと案内してくれるのて安心できる、今日はついているとその時は思った。
彼はとにかくよくしゃべる。日本語もうまい。東京での生活、日本の好きなところ、25分はあっという間に過ぎた。降りたバス停の近くに水上マーケットの雰囲気はない、一人だったら不安になる場所だった。「わかりにくいですね、こっちです」そんな気持ちを察したのか笑顔で歩きだす。やがて売店とアーケードが見えてきた。小腹がすいたので何か食べようと提案すると奥にある水上食堂が良いと言う。
通路には多くの売店があり野菜や食べ物、お土産を売っている。船の置物がかわいい。タリンチャンがバンコクの水上マーケットのなかでも一番鄙びたところらしいけれど観光客がたくさんいる。進んでいくと船の上の食堂がみえてきたので一緒に何か食べようというと自分はいらないと遠慮する。
結局一人で食べることにして、ビールとブラーバオという魚の塩焼きを注文した。焼き魚は淡泊な味でビールによくあう。醤油があったらもっと美味いはずだ。魚は大きいので十分お腹が膨れる。ビールを片手に水面を見ていると彼がもどってきた。
水上クルーズに乗ろうというと、笑顔で「それはいいですね、でも私は急用で帰らないといけなくなりました」と人から見えにくい場所へ連れていく。「はは~ん、チップの要求だな」日本人の頭はどこまでもお花畑だった。


旅の教訓 親切な男は強盗になった
チップは、100バーツくらいでいいか、それとも親切にしてくれたから200バーツにしようか。財布を取り出して200バーツを抜き出した。彼は「ありがとう」と言ってお札を受け取ると同時に、私の手にある財布をひったくった。電光石火、財布はまるで手品のように彼の手に移ったのである。「えっ」と驚きながらも取り返そうと一歩前に出た。
彼は一歩退き厳しい顔で睨んでくる。あの人の良さそうな顔は微塵もない。人の表情はこんなに変わるものか。「オイ」と声を荒げるとまた無言で睨みかえしてくる。もう一方の手がポケットに入るとバタフライナイフが現れた。これまた手品ようだ、しまったこいつはプロだと後悔したが時既に遅し。
彼はブラーバオもビールもクルーズ船も頑なに遠慮した。遠慮深いと感心していたがそうではなかった。遠慮したのではなくて、自分のものになる財布からお金を使われるのが嫌だったのだ。こんな野郎についてきた自分の甘さに腹が立つ。怒りがこみ上げるがナイフは怖い。
諦めて彼に言った「全部取られたら、僕はどうしてホテルに帰るんや」彼はナイフは油断なく構えたまま考えこむ。やがて財布をポケットにしまうと、手にあった200バーツから100バーツを取って差し出した。一緒に出されたナイフはよく切れそうだ。恐る恐る手を伸ばしてお札を手に取る。
「コップン ・カッ」彼は会ったときの笑顔を見せて人混みのなかへ消えていった。見送るしかなかった。何がコップン・カッだよ、手のなかの100バーツがくしゃくしゃになった。

旅の教訓 屋台のマンゴーはめちゃくちゃ酸っぱい
やれやれ、怪我をしなかっただけましか。日本人はスレていない山奥の魚みたいなものだ、人に対する警戒感が薄すぎる、他人毎のように思いながら歩き出す。果物を売る屋台の前を通ると店主のじいさんが声をかけてきた。なめし革のような肌をした萎びたタイの老人だ。右手にタトゥーが見える。
「You are bat day 」こいつ見てたんだ。屋台を見ると新鮮で美味しそうな果物が並んでいる。しゃきっとしたパイナップルを見て緊喉がカラカラになっているのに気づく。「Touche!」彼はまたにゃっと笑う「Pollce does not work」そうだろうね。
「I think so. Where is Bus stop?」 彼はマーケットの出口を指差さして笑う。「Thank you. Please this one」喉が乾いているのでマンゴーを買うことにした。マンゴーをビニール袋に入れて串を刺して渡してくれる。20バーツだ。汗で湿った100バーツを渡しお釣りは要らないと伝える。この仕草はどこの国でも簡単に通じるから不思議だ。彼の顔に「この日本人、お金を使ってしまってどうするのだろう」と問いかけるような表情が浮かんだ。「It’s okay」「コップン・カッ」
タイの人たちの両手を合わせてお礼をする仕草は本当に美しい。若い娘ならもっと良い。軽く手をあげ答えて教えてくれたバス乗り場に向かう。袋のマンゴーを歩きながら一口食べると、めちゃくちゃ酸っぱい、これが売りものか、いったい誰が食べるものなのか。 これは到底食べられない、これはどうしよう。今日はなんて一日なんだと笑いだしてしまった。半分泣きながらであるが。

旅の教訓 知らない男に話かけられたも無視しよう
帰りはバスをやめてタクシーに乗った。運転手にBTSの駅へ連れて行ってくれといったらバーン・クンノン駅に着いた。途中怖さと怒りの感情が入り混じり興奮していた。体中にアドレナリンが分泌されていたようで、ここでも100バーツを出してお釣りはいらねぇをやってしまう。涼しい電車に乗ってようやく気分が落ち着いてきた。
冷静になると自分の馬鹿さ加減に気がつく。どうしてあのような知らない野郎についていったのか。日本で知らない男についていくことはない。旅は人を酔わせ警戒心を薄めてしまう。少し旅慣れたという驕りが生んだ失敗だった。外国の悪人は調子に乗った日本人を見逃さないのである

旅の教訓 所持金は分散して持とう
外国で街を歩くとき、無くしてもよい財布に少額をいれて持ち歩くことを習慣にしている。大きな金額の札は汚れが気になるがポケットに分散して入れている。カードは限度額の低いものを一枚をポケットに入れる。だから財布を取られても被害は小さかった。この習慣に救われたのはベトナムについで二回目である。
ホテルの近くでビールを飲み、二本目を空ける頃やっと気分が良くなった。強盗はどうしてタクシー代を返してくれたのか。帰れないと言ったときの困ったような顔を思い出すとなんだか妙な気分になる。いくら愛と微笑みの国といってもタクシー代を返してくれる強盗っておかしいだろう。高い授業料だったがタイらしさも感じた一件だった。

やさしい強盗の男、しなびた老人、酸っぱすぎるマンゴー、今日のタリンチャンを忘れることはないだろう。三本目のビールは美味しかった。マンゴーはホテルの冷蔵庫に入れてきた。後で誰かに食べて貰おう。そのときの顔を想像するとおかしいくなる。
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