中国 無錫 マッサージの女性はドレスでやってきた

中国

「君が知らない異国の街で」は無錫旅情で「君がみ胸に浮かんでゆれる」は蘇州夜曲だったな。今夜は中国美人としっぽりとむふふ・・・と妄想は膨らむばかりである。そこへ一本の電話がかかってきた。

「君はなぜ中国に行っているのだ。反日デモを知らないのか」「はぁ」「今どこに居るの」「ホテルです」「そこから絶対出ないように、分かったね」「はい」「きっとだよ」「はい」さてどうしよう、ロビーに立っている太湖石を見ながらぼんやりと考える。ここは無錫のホテルである。

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反日デモと海外出張禁止

出張禁止の通達は知らなかったし、クレーム対応で来たのだからそんなに怒らなくても良いだろう。ホテルにいるのは嘘ではない。ただ自分の泊まっているホテルではなく、知人の泊まっているホテルのロビーだったがホテルには違いない、まぁいいやとお気楽に考えた。

2008年、上海は大変なことになっていた。反日デモは共産党の煽動で始まったが収集がつかなくなり日本料理店や日本企業が暴徒に襲われていた。早くから中国に進出し、経済発展に貢献したパナソニックの工場まで襲撃されたのは驚いた。

それに比べて無錫は静かなものだった。ここにも日本企業が多く進出している、上海とのギャップは大きい、デモの気配は無くテレビでもデモのニュースはいっさい放送されていない。独裁政権の情報統制は恐ろしい。無錫市内の日本人が集まるカラオケ街はいつもの通りだった。小娘たちは普通に出勤し普通によく喋る。「没有(メイヨー)」がよく聞こえるのはスケベなオヤジが多いからだ。

この情勢の中国へ行くのは叱られて当然だが、一介のサラリーマンにとって、お客さんのクレームはデモより怖い。そのうえ中国の風俗は絶頂期を迎えている。表の理由と裏の欲求が揃えば行かない選択はなかったのである。

太古より栄える無錫と蘇州

無錫は上海からタクシーで1時間くらいで着く。「無錫旅情」の歌詞の通り太湖に面した街である。太湖は中国で3番目に大きな淡水湖で周囲は風光明媚な土地として知られている。今回は緊急の仕事だったので観光をする時間があまり無かったが、仕事の合間に無錫と蘇州の市街を駆け足で廻った。夜は仕事が終わってからだから余裕がある。

となりの蘇州は、寒山拾得の寒山寺、呉王夫差ゆかりの虎丘公園、東洋のピサの斜塔といわれる雲岩寺塔、獅子林公園など古い中国の文化に触れられる名所旧跡がたくさんある。中国文化は奥が深い。虎丘公園の露天で売っていた10元の焼き栗は美味しかった。

隋の時代に作られた運河と蠡園(だったと思う)も素晴らしい。運河は少々汚いが昔の中国の雰囲気が良く残されている。蠡園は太湖の風景と太湖石が見ものである。太湖石は、太湖から引き上げられる炎のような輪郭に数個の穴が空いた不思議な形の石で、実物に触れると中国人が好む理由がよくわかる。

太湖は平均水深が2.0mと浅いため湖水がよく撹拌されて有機物が豊富なる。それを食べる魚が多く古代より優良な漁場だった。周辺は作物がよく育つ穀倉地帯で、漁場と合わせて「魚米之郷」と呼ばれた。その豊かさは古から国家の食を支えてきた。

春秋時代は越や呉の国として栄え、戦国時代は楚の国の首都となる。臥薪嘗胆、呉越同舟の格言を産んだ土地でもある。戦国時代の末期はキングダムに描かれる世界で、楚の巨大な女将軍、媧燐は部下のバミュウを虐めながら秦を苦しめたが、最後は秦の将軍王翦に滅ぼされてしまう。その戦いの場でもある。

とにかく太湖の豊かさを背景に古くから文明が栄えた地域なのだ。文明が栄え歴史が長く食文化が豊かな土地は風俗も盛んになるのが鉄則である。ここは期待できますよ。

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無錫の夜

無錫の工業団地は日本企業が多く進出している。単身赴任の日本人も多い。となると街に日本人向けの飲み屋ができるのはどこの国でも同じである。ここにもたくさんのカラオケ店があった。心は逸るがその前に腹ごしらえがいる、地元の人たちが行く火鍋店に行く。

店は清代のお寺のような婉曲した瓦葺き屋根を持つ床が石畳の建物だった。古びた雰囲気は水滸伝の世界のいる気分にしてくれる。小娘が頼んだ火鍋とビールをぶっきらぼうにドンと置いていく。ビールはもちろん冷えていない。本来の中国のサービスはこんなものだろう。火鍋の味はけっこうなもので辛さが下半身に火をつける。

日本人向けのカラオケ店のママさんは日本語が上手く「いらっしゃいませ~」とやってくる。座っていた小娘も立って「いらっしゃいませ〜」と挨拶をしてくれる。さっそく唐辛子の酢漬け、美味いが食べすぎると次の日お尻の穴がたいへんになる、をツマミにカラオケを始める。月亮代表我的心だ、甜蜜蜜だ・・・とても楽しいのだが何か違うぞ。求めているのはこれじゃない。

ママにそっと聞くと「ここ、そんなところじゃない」と笑われた。歌だけだったので200元くらいだった。でも今夜はどうしたら良いのだろう。

旅の教訓 希望ははっきりと伝えよう

結局、風俗はお預けにしてホテルへ戻った。今日は朝早に現場に行ってまぁまぁよく仕事をした。頑張った自分へのご褒美はマッサージにしようとフロントに電話をすると「メン、オア、ウィメンマッサージ」ときた。こんなこと聞かれることは滅多にない、何か変だなと思いつつどうせ揉んでもらうなら、女性がいいと「ウィメンプリーズ」と答えた。

「直ぐ行きます」と日本語で返事がきた、話せるなら最初から言ってよねだ。どんなオバちゃんが来るかな、足つぼはやってくれるかなと期待しているとドアのチャイムが鳴る。ドアを開けると、マリンブルーのカクテルドレスを着た若い小娘が立っている。

「こんばんわ」にっこりと笑う、可愛いが今夜は違うのだ。「間違いじゃない?僕が頼んだのは普通のマッサージだよ」「間違いない。***室です」彼女の顔がみるみる曇ってくる。ここで悟った、ウィメンマッサージがいけなかった。ウィメンマッサージはそういうことだったのだ。

彼女は悲しそうに見つめてくる。男はこの顔に弱い。「そう、だったら入って」胸の谷間が眩しい。だが今はマッサージの気分なのである。彼女は部屋に入っても不安そうな顔をしている。この表情に勝てる男はいない(私だけかも)

男は女性の笑顔に勝てないのである

「分かった、お金は出すから普通のマッサージをして」というと顔がぱっと輝く。本当に可愛い。紂王は妲己に惑わされ、玄宗皇帝は楊貴妃に溺れた。私が勝てるけ訳がない。「お客さん優しい」「いくら」「1800元です(27000円くらい)」こういう話はなぜ簡単に通じるのだろう。

彼女はご機嫌になっている。それはそうだろう、裸にならずにお金が貰えるのだ。「お客さん寝てください」とマッサージが始まる。これが上手い、気持ちが良くなるとよからぬ所も元気になってくる。ドレスで揉む姿が色っぽい。そのうえ柔らかい身体と触れ合う。

太ももを揉んでもらう頃には、不覚にもあそこがすっかり元気になってしまった。マッサージと言った手前これ以上要求しにくい、さあこれは困った。「お客さん、明日も泊まりますか」「うん、泊まるから明日もお願いしようかな」しめたと返事をする。「ほんと、うれしい」太ももの手が少し局部に近づいたようだ。

これは以心伝心だろうか。「ねぇ、お願いできないかな」というと彼女の声が突然大きくなった。「ホワット」「だから」「○ックス?」中国の女性は厳しい。なぜ英語・・・ダメかと思ったら、彼女が寄り添いながら囁く「イイヨ、アナタ優しいから」お金を払ったんですけど、主導権は彼女にあった。

彼女は上半身を起こしてドレスを脱いでいく。中国には彼女のような手足が長く胸が大きい女性がいる。綺麗な女性は変な言い方だが徹底的に綺麗である。優雅な曲線が揺れる。やっぱりマッサージより気持ち良い。昼間の疲れを忘れたころ腕枕の彼女が再び囁く「明日もいいですか」「もちろんです」

旅の教訓 中国100元は100円の感覚になるので要注意

彼女の余韻に浸りながら無錫の夜景を眺める。この国の発展は目覚ましい。だが街には彼女のような女性がいる。中国は強烈な貧富の差がある国である。貧しい女性は稼ぐために身体を使う。国が発展して、みんなが豊かになれば彼女のような仕事をする女性はいなくなるかもしれない。だがこの国の現実を考えると難しそうだ。

だから一緒に過ごすときは楽しく過ごしたい、思い上がりかもしれないがそう思う。男は女の笑顔を見ると嬉しくなる。女は自分で笑うか笑わないかを決める。男と一緒にいても楽しくなければ笑わない。決定権はいつも女にある。

今夜は彼女の笑顔を見られた。明日はやせ我慢をせずに最初からお願いしよう。そうしたらもっと笑ってくれるだろう。帰りにチップ100元を渡した。100元はなんとなく100円の感じがする。つい気が大きくなるので要注意である。

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