筆者は、タンザニアの若者の生き方の例として、研究助手のブクワと妻ハディジャの生活を紹介している。彼も妻も少額の資金を得ると次々と商売を始める。上手く行きそうになるが大抵失敗する。しかし彼らはめげない。次の仕事へ向かって前へ前へ進んでいく。彼らや友人が始める小さな商売は、西欧型の資本経済とは異質の資本主義経済を生み出していた。その経済圏は東アフリカから遠く中国まで広がっている。

インフォーマル経済のダイナミズム
東アフリカの商人は中国で商品を仕入れてアフリカで売る。その取引は個人対個人が原則で企業が行う経済と区別してインフォーマル経済と呼ばれる。契約に基づいた企業間取引をフォーマルな経済とすると個人の形にとらわれないインフォーマルな経済である。個人の商売だから一つ一つは小さいが、多く人の商人が集まるので「下からのグローバル化」と言われるほどの巨大な規模になっている。
その商売はネズミやゾウの道に例えられる。最初の商人が歩く道はネズミの道のように限りなく細い。商売が成功すると大勢がそこに殺到する。誰も商売のノウハウを隠さない。道はゾウが歩くくらいに広く太くなる。今インフォーマル経済は大きなゾウの道になり、世界のGDPの3割に迫らんとしている。
そこで扱われる商品は、コピー品や粗悪品、知的財産権を無視した何でもありで製造される。日本に「安物買いの銭失い」という言葉にあるように、日本人は「少々価格が高くても品質が良くて長持ちする物」を選ぼうとする。だが、アフリカの人は「どうせ、すぐ買い替えるから壊れやすい物でも良い」「お金が無いけど早く欲しいから安物で良い」である。アフリカの市場は安かろう悪かろうを求める。偽ブランドも正しく作られていれば本物だ。

その日暮らしがつくるもう一つの資本主義 インフォーマル経済
インフォーマル経済は2000年代に中国が世界の製造工場になってから急速に拡大した。タンザニアの商人は香港を窓口にして広州や深圳ヘ向かう。広州はかつてシンドバットが住んでいたが今はアフリカ人がたくさん住んでいる。彼らが求めるのは中国企業が作る小ロットで廉価な商品だ。それを作るのが山塞企業だ。山塞とは山賊の要塞のことである。山賊の同じで法律を気にしない。コピー品や廉価品、携帯電話をあっという間に作ってしまう。
商売は原則、個人対個人の信用取引である。詐欺にあってもや騙されても騙された方が悪い。ルールは「法律には違反するかもしれないが、社会的には認められる」だけである。西欧的な知的財産権、契約書、品質保証や品質管理などは気にしない。それゆえダイナミックな開発力と価格競争力を持っている。まさに生き馬の目を抜くような世界だ。そんなところでその日暮らしをしている。
日本でインフォーマル経済の実態が報道されることはほとんどない。アフリカの市場や中国経済の強さの本質を理解するのが難しい。この本はそんないフォーマル経済を分かり易く教えてくれる。チョンキンマンション、ムーンライト企業、リアルコピーなどの聞き慣れない言葉に触れるたびに理解が深まる。
昨今、中国政府が経済援助や投資にすることでアフリカ諸国との関係が強まっているばかり言われるが、それだけでなく昔から東アフリは庶民の商売で強く結びついていた。アフリカ人はもとから中国人と仲が良いのだ。アフリカ人も中国人も将来のことを心配することなくその日暮らしを送っている。その思考が作り上げたのがインフォーマル経済である。
資本主義は本来将来を心配して資本を蓄積する。常に未来を見ている。だが未来よりも現在を重視する人たちが作り上げたのがインフォーマル経済である。筆者はそれをもう一つの資本主義と呼ぶ。そこには日本人が持たない幸せがあるのかもしれない。

タンザニアの人たちのその日暮らし
誰でもいいから助けてくれないかと、アドレスの順に沿って電話する。毎日のように金を送り合っているので、たまに誰からいくら借りてだれにいくら貸しているのか混乱する、ただ、その時々に金を持っていた誰かが食い扶持をくれたことに変わりがない。自分だって金があるときそうしている。
キオスク店主 20代なかば 同著
タンザニアの人たちの思考法はこの言葉につきる。タンザニアの「その日暮らしの生活」は気軽な貸し借りで成り立たっている。借りるのも貸すのも当然だ。日本でもお米や醤油を気軽に貸し借りをした時代があった。その当時の暮らしは今より精神的に豊かだったように思える。哲学者ナタリー・サルトゥー=ラジュやマルセル・モースは共同体は貸し借りの概念が重要という。それができる社会は住みやすい。
日本は他人に物を借りるのは恥とする。いつも他人に迷惑をかけないように生きている。職場では生産性向上や高品質を考え家に帰れば老後の心配をする。将来のお金を貯めるために今を犠牲にするのは当然と教えられる。イソップ物語の「アリとキリギリス」のアリの立場である。
ビル・パーキンスは著書「DIE WITH ZERO」で問いかける、アリはいつ遊ぶことができるのだろう。日本人はいつ楽しむのだろうか。日本は、技術が発達して豊かになったが、その結果追い詰められている。
「その日の暮らしで生きていく」社会は世界中にある。物質的には貧しいけれど幸せがある。タンザニア人は仕事に縛られず友人と携帯電話があれば十分だと暮らしている。日本人から見ればなんとも自由な生活だ。彼らは遠い将来のことは心配しない。心配しないで前進する。出来なくなるまで前へ進む。できなくなるのは何時か、それはおのずから分かるそうだ。
毎日が息苦しい人、中国とアフリカの経済関係に興味のある人にお勧めの一冊。


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